週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

晴天の霹靂

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

いつもならさっさと寝る時間ですが、

今日はちょっと事情があり記事を書くことにしました。

 

 

私の職場は母体である「事業団」の何カ所かある「現場」の一つに過ぎません。

 

これまで別の大きな組織で10数年働いてきた中で「現場を移動する」という経験は全くなく、数百人の従業員の内の数名が移動するくらいなら自分は関係ないだろう、的なノリでいました。昔は。

 

 

さて、3月も後半にさしかかった今日、

新年度の「人事異動の内示を本日中に」という連絡が回ってきたため、一応気にはしつつ・・・

 

そして、

リハビリ中に総務から「今すぐ来て」という呼び出し。

 

もしや・・・

と思いながらも出向くと、そこには所長が。

 

急に心拍数が高まる自分。

 

 

所長「〇〇へ移動していただくことになりました」

 

 

「マジかー!」

と心の中で叫ぶ俺。

 

いや、俺自身が現場を移動することは別にどうでもいい。

どこだろうとセラピストとしての仕事をくれるなら一流の仕事をしてみせる。

 

そんなことよりも、今一緒に仕事をしている仲間の方だ。

 

 

コロナのせいで業務分担となった今、入院患者の業務が手一杯だ。

この2年間で病棟看護師からの信頼を得て、看護師達の健康管理も何故か業務の一つになってしまっている。

何よりも、俺が居なくなると分かったら弟子1号の反応は?

 

という想いが一瞬で駆け回った。走馬燈ばりに。

 

・・・あと2週間もない。

2週間足らずの間に、身辺整理と引き継ぎ的な作業と皆さんへの挨拶を済ませて違う現場に行かなくてはならないのか。

 

 

色々とモヤモヤしながらも、最優先事項として選んだのは弟子1号への報告。

 

 

俺「移動になった」

 

 

弟子「・・・イヤです」

 

 

 

沈黙・・・

 

 

 

 

沈黙・・・

 

 

 

 

(泣)

 

 

 

・・・エラいことになってしまった。

これまで「退職」は何度か経験したが、こんなに突然でこんなに誰かを悲しませる別れは経験したことがない。

 

まさに晴天の霹靂だ。

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本部さま、せめてあと一ヶ月くらい猶予をいただけないか?

 

「内示」という言葉をググると、

「公式ではなく、内々に示すこと」

「辞令を発令する前に異動予定であることを知らせること」

とある。

目的は移動する人の心構えや身辺の準備、

そのために一ヶ月前位には伝えるのが一般的

ということだったが・・・

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しかし、自分の都合で本部の決定にケチをつけたところで始まらない。

自分がそちらへ呼ばれたのは、自分がそこで必要とされているからだ。

 

 

弟子1号よ、君は2年前とは比べものにならない位成長した。

初めて会ったときは、自信のなさそうな顔や振る舞いが心配だったが、「治せるセラピストになりたい」と誰よりも真剣に修行して、セラピストになった。

足りないものがあるとすれば経験と自信だ。

これからは蓄えた知識と技術、自分の信念で進んでいってほしい。

これからも寅丸塾は続けていくし、一緒に勉強できるじゃないか。

 

これまでのようにいつも隣で支えてはあげられないけど、君の頑張りをちゃんと見てくれて、理解してくれる人もできた。

 

今度は新しく入ってくる人に教えていったり守ってあげる番だ。

俺がそうしてきたように。

 

理解ある病棟看護師もぼやいていた。

「やっとあなたのおかげでここが変わりそうになったのに…あの子(弟子1号)は大丈夫?」

と俺たちの師弟関係を気遣ってくれた。

よかった。

ちゃんと味方になってくれる人がいる。

 

 

新年度が近づいてきた中、身中穏やかでないまま週末を迎えることになるが・・・

最後まで日常業務は業務として責任を持ってこなしていこう。

この2年間の色んな出会いと経験に感謝を込めて。

 

 

以上、今日は一人の大切な仲間に向けた記事でした。

 

体幹の動きとパフォーマンス2

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

セミナーの準備と進行に思いの外エネルギーを費やしたためか、地味に疲労感が尾を引いていましたが・・・

昨日の朝、妻と弟子1号からの「誕生日おめでとう」で、まぁまぁやる気が湧いてきました(単純)。

(この記事を書き始めたのは昨夜なのだが、何故か途中で力尽きてしまった…)

 

さて、前回の記事に書いた体幹の動きとパフォーマンスについての続きです。

 

 

 

 

toratezza0316.hatenablog.com

 

 

ズラしの重要性

 

病院のリハビリ現場でも子どもの療育現場でも、

殆どの対象者に「体幹の弱さ」という問題がつきまといます。

 

そもそも体幹が「弱い」とはどういうことか?

・筋力が弱い

・身体を支える力が持続しない

・硬くて動きが少ない

・すぐこける

・身体が傾いた時にすぐ戻ってこれない

・走る時に上体がグラグラする

・素早いターンができない

・押し負ける、ぶっ飛ばされる

など・・・

 

一言に弱いと言っても、色々な「弱さ」があります。

 

スポーツなどで重要な体幹の強さと日常生活レベルでの強さでは、意味合いが大分変わってきますが本質的には大きな違いはありません。

 

一言でいうと「しなやかさ」です。(※前回も少し触れました)

 

例えば、

何かに体当たりをするときの姿勢として次のどちらが強そうに見えるでしょうか?

 

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明らかに右の「ズラす」動きの方が強そうですね。

 

人間に限らず、動物にとって動く時に目線を水平に保つことは非常に重要です。

スピードが要求される状況では特に、目線が傾くことは視野が歪みパフォーマンスを著しく損ねる原因となります。

したがって、

体幹をしなやかにズラして目線を水平に保ちながら重心移動することで一点に力を集中させたり、「キレ」のある動きになるわけです。

 

ただし、

我々セラピストは「側屈」という動きは学校で習いましたが「ズラす」という動きは習った覚えがありません。

 

なので、

そもそもこのような動きを知らないセラピストの方が多いのです。

 

 

静止立位の時も、

ズラしが使える人と使えない人では、

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手を遠くに伸ばすという動きが身体全体の動きとして機能しているか否か

で効率性が大きく変わってきます。

 

坐位では、

特にお尻を持ち上げる動作(=除圧)の操作点が大きく違ってきます。

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特に高齢者や脳血管障害により体幹の機能障害が強く見られる方で、このような所見が明確です。

 

そして繰り返しになりますが、

パフォーマンスを発揮する時人間は目線が傾くことを基本的に嫌がります

 

つまり、

体幹をズラすことができない人は身体を傾けることもしたくないので、

力で何とかしようと息を止める→身体を固める→疲れる

という戦略を選ばざるを得なくなります。

 

 

 

肋骨の動きに注目する

 

基本的に殆どの患者がこのような問題を抱えたまま「立つ」「歩く」といった表面的な訓練を与えられているのが現在の医療現場です。

 

では、これらの問題を抱えた患者にはどのような訓練が望ましいのか?

 

 

あくまでも選択肢の1つですが、

「肋骨」を器用にすることが重要だと感じています。

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肋骨は体幹の大部分を占めており背骨と胸骨をつなぎ、肺や心臓を守る非常に重要な骨です。

 

「肋骨なんか動かしたことない」

という声が聞こえてきそうですが、

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このように肋骨は呼吸に合わせて常時動いています。

ただ、多くの人で動いているという感覚が薄れており、加齢と共に動き自体も弱くなってくるために高齢者の肋骨は非常に可動性が乏しい傾向にあります。

 

 

また、

先ほどの「ズラし」でも、

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肋骨がちょっとずつズレて上半身を自由に操っているのが分かります。

 

 

体幹を強化する

 

 

肋骨を器用に動かせる条件として

「深い呼吸ができること」

が必須であると私は思っています。

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呼吸によって腹圧や胸腔内圧を高めることで肋骨を押し上げる力が働き、

結果的に身体操作に多様性が生まれてきます。

 

 

運動療法のポイントとしては、

肋骨が直接連結している胸椎や胸骨を伸ばす、捻る

肋骨の上を滑る「肩甲骨」を起こす、引き上げる

これ以上伸ばせないという辺りまで来たら、その位置で深く呼吸を繰り返す

など、

自分の感覚ありきでの姿勢制御というタスクが経験上最も有効です。

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もちろん高齢者では、そもそも自発的な運動範囲が制限されるために上記のような動きは危険です。

 

その場合は、

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姿勢制御の第一段階としてこのような姿勢も試してみるのもいいかもしれません。

(※ゲスな画像ばかりでスイマセン…)

 

 

いずれにしても、姿勢制御の下手さは日常生活への不適応を来たし、代償的な緊張や力みを繰り返すことで微細な損傷を蓄積させていきます。

 

それらが「慢性的な痛み」として表れてくるのですが、

少なくともセラピストは表面的な「できる/できない」に拘らず、

動きの質に目を向けるという習慣をつける必要がありそうです。

 

 

 

まとめ

 

本日は体幹の動きについて、「肋骨の器用さ」という視点でお話させていただきました。

臨床で必ず遭遇する問題に対して、教科書的な知識とは異なるなる柔軟な発想で「体幹のしなやかさ」を獲得していけるよう、我々も取り組んでいきたいと思います。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

 

体幹の動きとパフォーマンスの関係

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

暖かくなってきましたね。

いつもお世話になっている公民館の掃除と、保育所の役員の仕事に子守りで気がつけば1日が終わりそうです・・・

 

 

今日は「体幹」について記事にしていきます。

 

 

 

 

 

 

体幹の動きについて

 

我々セラピストは、養成校ではまず解剖学や生理学を頭にたたき込む所からスタートします。(人を診る上で基本的な知識がなければ話にならないので、知識を得る、という最初のステップが困難なようではそもそも適性がありません)

 

今でこそ「体幹」の重要性は一般的にも知れ渡ってきましたが、

養成校のレベルでは(少なくとも私の学生時代は)体幹に関するリハビリについて語られた覚えがありません。

 

まぁそれはともかく、

体幹は人間が運動する軸となる部位ですので、言うまでもなく重要な役割を担っています。

toratezza0316.hatenablog.com

 

体幹には何種類かの運動パターンがあります(下図)。

 

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つまり、

屈曲=曲げる

伸展=伸ばす

側屈=倒す

回旋=捻る

 

という4つの基本的な動きを、脊柱の1つ1つの骨が少しずつ生み出すことで実現しています。

 

実際には、

どれか一つの動きを選んで動くということは殆どなく、

微妙に組み合わせながら身体の向きを微調整することで人間は持続的な姿勢制御と手足を自由に動かす(=随意運動)という機能を発揮しています。

 

スポーツなど瞬発力やバランス能力を要求される場面においては、特に正確なコントロールが必要になります。

 

 

子どもの動きを観察する

 

私の職場である療育センターでは、外来の子ども達を対象に「サッカー療育」という集団訓練を定期的に実施しています。

 

サッカーというスポーツを通して、

集団行動や調和・思いやりといったスキルを向上させようとする伝統的な行事です。

私が見る限り、身体能力の向上という点はおろそかにされていますが…

 

そして、

子どもがボールを追いかけて走る姿を見ると、

・顎が浮いている(常に顔面が天井に向いている)

・身体が傾いている

・ボールを追い越してしまう

といった、まぁまぁ目を疑うような動きを観察します。

 

ただ、自分の担当する子どもではなく、指導は外部講師に委託しているため、補助要員として「見ている」だけなのですが。

 

いわゆる「不器用な子ども」「グニャグニャさん」は運動がとにかく下手なのですが、それらを克服していくプロセスというのは、

これからのQOL(生活の質)を考慮すると高齢者の筋トレよりも遥かに重要な意味を持ちます。

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臨床推論

 

走る時に顎を浮かせて天井に顔を向けながら走っている子

について考察してみましょう。

「走る」という動作では、歩く時よりも何倍も強い衝撃が身体に入ってきます。

顎を浮かせる=「体幹を伸展する」ことで背骨を固定し、固めることで衝撃に耐えているのかも知れません。

 

 

身体が傾いている子はどうか?

身体が傾いている状態とは、パッと見て肩の高さが崩れていることを意味します。

サッカーのようなフットワークを要する競技において、

・進行方向を瞬時に切り替える

・人とぶつかったり避けながら走る

という運動パターンが常に求められます。

つまり、身体を横方向にズラしながら動くスキルが必須です。

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しかし、身体がしなやかでなく、横へズラすことが出来なければ最終手段として目線を傾けて身体全体をズラそうとしている可能性があります。

 

 

ボールを追い越してしまう子

については?

サッカーはボールを見ながら動く競技であるにもかかわらず、ボールが見えていない

というのはもはや競技への適性に疑問を抱かざるを得ません。

自分の運動や姿勢が崩れないように保つという内的な注意が、ターゲットに注目するという外的な注意よりも優先されている段階のため、

数をこなせばどうにかなるというものではないような気がします。

 

 

集団訓練と個別訓練

 

これらの問題を抱えている子どもに対しては、

ボールを操る練習

よりも

身体操作を学習すること

の優先度が遥かに高いと私は感じています。

 

身体操作が一定の水準に達しなければ、

・上手く動けたという達成感

・周りに合わせて動く余裕

・仲間を応援したいという気持ち

自体が生じにくいからです。

 

下手でもいいからとにかく楽しみたい

という感覚ならこれまで通りでも良いのですが、

彼らはシューズやウェアなどしっかり準備しており、

「上手くなりたい」という意思をヒシヒシと感じます。

 

サッカー療育という集団での活動機会を否定する気はありませんが、

それに参加する子どもを個別訓練において一定水準に鍛える

というセラピスト側の責務を忘れてはいけません。

 

 

コロナ禍で子どもの担当業務を外れている現在、彼らがどの程度進歩しているのか気にはなりますが、

訓練のポイントは脊椎を中心とした胸郭や肩・股関節の動かしかた

が重要になると感じています。

私なりの問題解決方法について、次回のセミナーでご紹介しようと思います。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

セラピストにしかできない仕事を見極める

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

早くも2月が終わりますね。

今日から暫くは、このブログの原点である「筋膜」に目を向けていきます。

 

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重障者リハビリの有様

 

 

私の勤務する療育センターには、

重症心身障害者(重障者)という生まれながらに重い障害を持ち、

「痒(かゆ)いところを掻く」

どころか

「どこが痒いのかも伝えられない」

障害者が多く入所しています。

 

日常生活全てにおいて常時介助を必要とする利用者の「リハビリテーション」は、

多くの病院で目指すところの「自立」を目的とするものでは決してありません。

 

では何を目的としているのか?

 

 

 

私が作業療法士として入職した当時、古株のセラピスト達は

 

・その人の能力を引き出す

・他者との交流の中で普段と違った表情や反応を探す

 

ことをやたらと強調してきました。

 

そして、

毎回のように耳元で音を鳴らしたり物を持たせて引っ張らせたり揺らしたり、

グループ(今時まさかの集団療法!?)訓練と称して集団で絵本を読み聞かせたり療法士が寸劇を演じたり・・・

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なんだこの茶番は。

 

 

なぜここの連中は目の前の患者に対して精神論やエンターテインメントばかりを追い求めて、

肝心の身体の機能に目を向けないのだろうか。

 

それともあらゆる可能性を模索しきった結果、そのような要素にたどり着いたのだろうか?

と。

 

 

重障者に対する臨床推論

 

私が目の当たりにした重障者は、

 

骨格の変形と筋膜の捻れや歪みによって手足の動きはもちろん、

最低限の運動機能(呼吸・循環・内臓活動)が破綻している

ことが、実際に触れてみてよく分かりました。

 

 

例えば、

骨格と筋膜が捻れる

→動かすことよりも固めて昆虫のように表面が硬くなる

→呼吸するための筋肉が固まる

→頚の筋肉が代償的に発達し、顔と首の太さが一緒になる

→太く硬くなった筋の影響で鎖骨や胸骨がさらに固まる

→首や肩を通る血管や神経を圧迫する

→常時苦痛に苛まれる

など。

 

 

ちょっと難しい表現になりましたが、

いわゆる「慢性的な肩こり患者」の病態解釈と考え方は大して変わりません。

 

 

構造の変化によって機能するべきものが機能しなくなると、

動物は「固める」という手段によって安定を得ようとします。

 

その結果、

人体の恒常性(環境を一定に保つ働き)に何かしらの支障を来たします。

 

 

このような原理原則に則って重障者を観察すると、

セラピストにしかできない仕事が山のようにあります。

 

 

 

 

現場の看護師はセラピストを見ている

 

 

色んな現場を見てきた中でも、ここの病棟で働く看護師の皆さんには頭が下がります。

 

決して「正常な身体になる」ことのない、

また常に命の危険に晒されている患者の生活を支援するために昼夜問わず重労働されている。

 

そして、

そんな看護師もまた忙しい業務をこなしながら我々セラピストの仕事ぶりを見ています。

 

私はこの職場で病棟スタッフと気軽に話ができるようになり、

セラピストに何を求めているのか、どんな仕事をして欲しいのかを水面下で調査してみました。

 

すると、

・重たい身体を何とかして欲しい

・身体が硬くてオムツを替えるのも苦労する

・浣腸を入れないと便が出ないのは変えられるか?

・食事がとれるようになる?

・脚の循環が良くなるために普段からできること?

・私のボロボロな身体を何とかして欲しい(←切に)

など。

 

逆に、不満や疑問について伺うと、

・集団で訓練に行ったり耳元で騒いだりするのが謎

・「ああしろこうしろ」と指示だけして自分は殆ど何もやらない

・この器具は本当に必要なの?専門家なら自分の技術で何とかできない?

など・・・

 

 

全てに当てはまるわけではないが、

現場で常に命と向き合っている者の訴えは決して軽んじてはならない。

 

 

 

技術あっての専門家

 

これらのやりとりを通して、やはりこの環境で円滑に仕事をする上で最も重要なことは

「看護師の負担を減らすことだ」

と判断しました。

 

このような発言をすると、

「看護師の肩をもつなよ、患者の視点に立て」

的な反撃が来そうですが、正直サラリーマンPTOTの自分よがりな価値感を嫌と言うほど見てきました。

 

結局「いい」と思って続けてきた集団訓練や感覚訓練は、

周囲からはその程度にしか映っていないし、そもそも「レクレーション」の次元なら支援員に任せればよいのです。

 

 

自分の徒手的な技術で勝負することを諦めたら、セラピストの存在価値は消える。

それは診療報酬の削減が切に物語っている。

 

それにもかかわらず、

セラピストが支援員のレクレーションを真似し始めた時は本当にあきれてしまった。

toratezza0316.hatenablog.com

 

なので、

私はできるだけ病棟で、看護師の居る場所で技術を提供し「リハビリテーション」の価値を見直してもらうことにしました。

 

もちろん全ての要望に応えられているわけではありませんが、

相談しやすい窓口くらいにはなれているんじゃないかなと感じています。

 

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まとめ

 

重障者という、非常に難易度の高い患者との向き合い方について職場の現状を交えて考察していきましたが、

肝心の「筋膜」の話は一部だけになってしまいました。

 

が、どのような環境であろうとも

・セラピストにしかできない仕事は何か?

・誰を主体に臨床推論を展開するべきか?

・どのような結果を期待するのか?

を明確にした上で価値を与える。

 

我々が生き残り、貴重な存在だと周囲に認められるにはそれに尽きる。

 

そのためにも、

遊んでる暇があったら技術を磨け、セラピストと名乗りたいなら。

 

 

少々辛口で終わります。

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

病院も会社の1つだもの

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

何回かに渡って脳科学リハビリテーションについてお送りしてきました。

 

toratezza0316.hatenablog.com

 

祝日の朝、次のセミナーの準備を(脳内で)進めつつ、これまでに仲間から頂いた「職場に関する不満」について私見を述べていきます。

 

 

 

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病院業務=ビジネス

 

私を含め大多数の「医療職」関係者は医療現場の経験しかありません。

 

我々療法士も医師や看護師同様、

専門の教育機関を出ないとなれない職業です。

なので、

多くは高校の頃から専門の学校へ行くことを希望し、そのまま病院などに就職します。

 

 

そうして組織の一員となった暁には、

専門的な力をつけることで組織の中の戦力となっていきます。

 

まぁ、当り前のことなのですが。

 

 

ただ、我々療法士の仕事は

顧客に利益を提供することで報酬を得る

というビジネスに他なりません。

 

 

なので、

自分の仕事っぷりは「20分で2500円」の価値が発生するに相応しい仕事なのか?

(1時間の「リハビリ」で7500円が医療保険で動いている=ジムとかフィットネスよりも高額!)

 

という疑問を常に持っているかどうかが、周りにどう言われようとも自分を成長させる原動力の一つだと私は思っています。

 

 

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年々減る診療報酬

 

私が学生だった頃と今では、随分と医療保険の算定方法が変わりました。

細かい話はともかく、

医療保険が国の財政を圧迫し続け、何とか採算を取るためリハビリテーション領域にもメスが入りました。

 

 

数人まとめて際限なく行えていた「集団療法」なんてものは廃止、

マンツーが基本で「期間に制限あり」、

対象疾患(+報酬)についても細かく分類されるようになりました。

 

これは、

結果が出てないところにまで回せる金はもうない!

と国が言っているようなものです。

 

 

正直、目的なくダラダラとリハビリの名の下に共依存を続けるよりはよっぽど意味のある制度だと私は思います。

限られた期間で明確な目標を定めてそれに到達することはビジネスにおいて至極当然のことです。

 

ただ、

それにはセラピスト自身の「個の力」が不可欠です。

 

 

金銭的な幸せは期待出来ない

 

さて、

リハビリが「ビジネス」であるならば、実力次第でセラピスト個人の待遇も異なってくるのが道理です。

 

が、あくまでも財源が「診療報酬」である以上、それが実現している医療機関などおそらく存在しないでしょう(自由診療を除いて)…

 

この

「結果の出せる療法士」

「給料さえもらえりゃそれでいい療法士」

の報酬の差は年数による昇級のみ

という待遇の不公平さが、

そもそも成長する目的を見失わせていることも事実だと思います。

 

 

したがって、

労働に対する金銭的報酬という点では理学療法士作業療法士の仕事は決して満たされるものではないかも知れません。

 

その代わり、

「私の仕事はちゃんと人を幸せにすることができる」

という貢献感によって、精神的な幸福を得ることには拘りたいものです。

 

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何が自分達の幸福を阻害しているのか?

 

 

一緒に勉強している仲間達に現場の声を聴いてみると、

「幸福」に感じられているとはお世辞にも言えない有様で・・・

 

 

①上司が組織を支配している

職人気質なベテランが若手を指揮する時に生じやすく、業務中に部下を下の名前で呼んだり、管理職への「めんどくささ」を日常的に声に出している

→言動が基本高圧的に感じ、パワハラっぽく見えてしまう

 

 

②上司の仕事っぷりが信用できない

実働よりも管理がメインになるのはしょうがないとしても、一日中パソコンとにらめっこしていたり、無駄話としか思えない雑談が多い

→そういう「先輩」を何人か見てきたが、どういうわけか実働能力も優れていると感じたことがない

 

 

③コミュ障または問題解決能力の低さ

こちらが質問しているのに、解決策を提示するのではなくこちらの粗を探すように逆に問い詰めてくる、もしくは自分の専門外のことには関心を示さない

→相談する気にならなくなる

 

 

④「ウチはそういう組織だから」詐欺

子育てや親の看護など様々な理由で職務規程に準じた行動ができないこともある

が、実際には有給休暇ですら「周りが迷惑する」などという理由で渋られる

→それをフォローするのがお前の仕事なのでは?

 

 

などなど。

 

 

色々と先輩や上司についてディスってしまいましたが、

もちろん不満ばかりを口にする若手自身にも、社会人として何も問題がないとは思いません。

 

ただ、

 

「 この先輩について行きたい」

と慕われる療法士にはそれなりの理由があるわけです。

 

私はそういう組織から一度抜け出して全て自分の責任で仕事をしていた訳ですが、

年功序列エスカレータ的に役職をもらっただけの者を見ているとやはり心がザワつくものがあります。

 

だからせめて、

目に映る範囲では「自分は後輩や他のスタッフにどう見られているか、信頼を得られているか」ということに配慮しているつもりです。

 

 

まとめ

 

病院も会社の1つですから、利益を上げることが求められるし上司はそれらを管理する必要があります。

 

ただ、病院という少し特殊な環境で部下の信頼を得るには、

やはり一職人・社会人としてある程度の能力を示す必要があると私は感じています。

 

部下や後輩はそのような上の人間を見て、

「頼りになるかならないか」

「組織に居続けたいか否か」

を考えます。

 

また、

自分自身が頼るのではなく頼られる存在になるという意思を持つことで、上に遠慮することも減ってくるでしょう。

 

 

 

そういう人材を育てるのも、今の自分の役割じゃないかと思って次回も質の高い講習を企画していきます。

(※今日は家族で遊園地行ってきますが・・・)

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

高次脳機能という言葉について解説してみた

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

何回かに分けて脳科学リハビリテーションについてご紹介してきました。

 

toratezza0316.hatenablog.com

 

後半は専門的な内容が多くなりましたが、それなりにまとめたつもりです。

 

脳科学シリーズの最後に、

私が病院時代に最も強みを発揮していた「高次脳機能障害(こうじのうきのうしょうがい)」という分野についてご紹介いたします。

 

 

 

 

 

高次と低次のバランス

 

人間は動物の中でダントツに複雑な思考ができる霊長類ですが、

それは脳の中に3ヶ所ある「大脳連合野」が「密」に連絡しあっているからに他なりません。

 

大脳連合野とはパソコンでいうCPUみたいなもので、ざっくり言うと

 

前頭葉=運動・計画・知性

頭頂葉=空間・感覚・統合

・側頭葉=形態・言語・記憶

 

それぞれ役割分担をしながら膨大な情報を常に処理し続けている訳です。

 

ただし、

これらの連合野が成熟するまでには長い年月がかかります。

 

子どもは連合野という高次なCPUよりも「辺縁系」という、より低次な(本能的な)CPUの働きの方が強いので理屈や社会性よりも感情で生きています。

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つまり、

高次なCPUである大脳連合野が成熟していれば低次なCPUである辺縁系の衝動をコントロールできるために、

「あの人は大人だな」

「社会性のある人だな」

「私の話にしっかりと向き合ってくれる」

 

逆に、

低次なCPUが強すぎたり高次なCPUが弱っていれば

「あの人は感情的な人だ」

「人の話を聴かないから信用できない」

 

などという周囲からの評価に直結します。

 

 

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したがって、

病院に限らずあらゆる組織で人間関係に不満を抱える人は、

この高次なCPUと低次なCPUのバランスが悪い上司や同僚の言動への不満

と言い換えても差し支えないんじゃなか?

 

と、先日のセミナーで皆の意見を聴きながら思いました。

 

 

高次脳機能が破綻すると?

 

 

話が逸れましたが、

そのような原則を基に、

脳卒中などによって生じた「高次脳機能障害」という病態を考えると、

高次なCPUの一部(又は全部)が損傷欠けているため低次なCPUが優位になりやすい状態

と言い換えることができます。

 

 

高次脳機能障害の代表的な病態に、

半側空間無視

という障害があります。

 

名称の如く、

片麻痺であれば左の空間を無視してしまうという、

何とも不思議な障害ですが急性期においては高頻度に遭遇する病態です。

 

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この問題について色々と勉強してきましたが、

高次なCPUと低次なCPUのバランスという視点で患者さんの反応を伺うと、

 

・「左を見て」と言われても見ようとしない

・歩けるようになっても左側をあちこちにぶつける

・お膳の左端にご飯があっても手をつけない

 

といった問題行動はウチの子どもの、

 

・トイレに失敗してパンツを見せてといっても頑なに拒否する

・何か探しながらウロウロしてるとすぐぶつかる

・嫌いなおかずには目を向けようともしない

 

といった問題とすごく似ているな、と思わされます。

 

 

低次なCPUである辺縁系主体で生きている個体の判断基準は

・快か不快か

・楽しいかつまらないか

・報酬

 

です。

 

 

不快な空間や向き合いたくない事柄に対しては、人間は拒否反応が起ります。

 

左無視のある患者さんの身体は、

そもそも左が麻痺しており感覚も薄れていることが多いです(経験上、重度な麻痺が多い)

 

そうすると、動物の防衛本能が働いて

「分かりやすい所だけを使え、不安な所には目を向けなくていい」

という低次なCPUで生き残るための効率を重視した戦略を選びます。

 

このように、

外からでは見えない本能的なシステムが働くために

「左を見ろ」

と説得しても、理屈より情動が優位な患者さんには響かないのです。

 

しかし、

病院では今だに一生懸命「左を見るトレーニング」をさせるために患者さんはもちろん、セラピスト側も疲れます。(何故もっと考えないのか、不思議でしょうがない)

 

 

高次脳機能の訓練には明確なテーマが要る

 

これらの問題を解決していくには、

 

①機能解離の原則

②感覚情報の比較・統合

 

という概念が不可欠だと私は思っています。

 

 

①機能解離とは、

システムの一部が損傷したときに回復モードに入るため、

情報が入ってこないようにするため周りの働きにもブレーキがかかる

という自然治癒力のことです。

 

toratezza0316.hatenablog.com

 

自然治癒力を高めたいのであれば、

訓練の名の下に強いストレスを与え続けることはむしろ患者さんにダメージを与えることになりかねない

ということをセラピストはまず頭に叩き込む必要があります。

 

無知=罪です。

 

 

 

②感覚情報の比較・統合とは、例えば

左から入ってくる情報と、右から入ってくる情報がそこそこ一致していればどちらか一方への注意の偏りはなくなる

という考え方です。

そもそも、感覚とは「見る」だけでなく「触れる」「押される」「傾き」「筋感覚」など様々です。

toratezza0316.hatenablog.com

 

患者さんは色々な感覚が希薄になっているにも関わらず、

訓練では患者さんにとって一番不快な「見る」ことだけにフォーカスしている不自然さにセラピスト自信が疑問を抱く必要があります。

 

 

以上より、

・自然回復を邪魔する事なく、

・視覚以外の感覚(個人的には特に筋肉の感覚)

を上手く利用して患者さん自身が身体に信頼感を持てるような方向性を提示できることが重要になります。

 

ということは、

高次脳機能を改善させるためには少なくともPT/OTが信頼し合ってリハビリテーションのテーマを共有するのが理想です。

(※病院時代、理想が叶った覚えがない。そういう意味では、今の環境はごく一部ではあるが叶いつつある)

 

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いずれにしても、

短期間ですぐ変わるということは少ないため、根気の要る作業ではあります。

 

 

 

まとめ

 

今回は医療現場でもそこそこ認知されてきた高次脳機能について、部分的(やや偏見的?)ではありますが解説してみました。

 

・高次な脳機能=大脳連合野(理性)

・低次な脳機能=辺縁系(本能)

 

高次なCPUの部分的な損傷によって、感情や本能的な要素が強く出てくるために自己防衛の手段として外から見ると異常な行動が目立つ

 

そのような側面について言及してみました。

 

具体的な話をしていくと論文のように語り始めてしまうのでこのくらいにしておきます。

セミナーの中でも、必要に応じて話題を提供していきます。

 

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

昔ほど頑張ることが苦痛でなくなった話

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

セミナーの準備に追われて少し寝不足な祝日となりました。

参加された皆さん、休日にも関わらず集まっていただき本当にありがとうございました。

 

 

※今日はただの日記です。

 

 

 

2年前に仲間内で始めたセミナーですが、

身内とは言え参加費を頂く以上、

その額に見合うだけの価値を提供するのは主催側の義務だと思っていますので、

正直言って楽じゃないのです。

 

 

今朝、

「なんでそんなにしんどいのに頑張れるんですか?」

と、いつも頑張っている弟子に訊かれた。

 

うーん、それは君も一緒だが、

俺は何で頑張ってるんだろう・・・

 

 

①需要があるから

②サービス精神

HSP(Highly-Sensitive-Person)傾向だから

 

 

③のHSPとは平たく言うと、「人いちばい敏感な人」と定義されています。

・人のちょっとした仕草、目線、声音などに敏感

・人混みや大きな音、騒音が苦手

・機械音や時計の音が気になってしまうほど敏感

・物事を始めるまでにあれこれ考え、時間がかかる

など、

ググると出てくるチェックリストには大体引っかかる。

 

 

そう、

自分は人と接するのが実は苦手なのだ。

 

職業適性・・・?

 

 

作業療法士になってから最初の数年間は、本当につまらない仕事を選んでしまったと感じた。

上手く問診もできない、

応用が利かない、

あの人ちょっとこわい…

 

話が元々下手だし人の顔色を伺って生きてきた自信のなさを隠すために、

仕事の時は無愛想で感情も出さないようにしていたのだろう。

 

加えて、自分を引っ張ってくれる人がいなかった。

大して成長しないまま、誰かを指導する立場になり…

 

 

色々あって今に至るわけだが、

色々ない人生なんてつまらない。

病院を辞めたことも今となっては全く後悔していない。

そうでなければ今日の出会いはなかった。

 

まだ元気のある内に、これからも色々やってみたい。

仲間はたくさんいなくてもいい。

少数でも、価値の分かる人と話がしたい。

 

自分もまだ成長したい。

昔の自分が苦労した分、今の若いセラピストに戦える武器を分けてあげたい。

そんな感じ。

 

 

だから、今朝の

「なんで頑張れるんですか?」

の答えは、

 

 

「俺は長男だからだ!」

 

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と、心の中で答えておいた。

 

 

以上、それが言いたいだけの記事でした。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。