週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

セラピストにしかできない仕事を見極める

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

早くも2月が終わりますね。

今日から暫くは、このブログの原点である「筋膜」に目を向けていきます。

 

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重障者リハビリの有様

 

 

私の勤務する療育センターには、

重症心身障害者(重障者)という生まれながらに重い障害を持ち、

「痒(かゆ)いところを掻く」

どころか

「どこが痒いのかも伝えられない」

障害者が多く入所しています。

 

日常生活全てにおいて常時介助を必要とする利用者の「リハビリテーション」は、

多くの病院で目指すところの「自立」を目的とするものでは決してありません。

 

では何を目的としているのか?

 

 

 

私が作業療法士として入職した当時、古株のセラピスト達は

 

・その人の能力を引き出す

・他者との交流の中で普段と違った表情や反応を探す

 

ことをやたらと強調してきました。

 

そして、

毎回のように耳元で音を鳴らしたり物を持たせて引っ張らせたり揺らしたり、

グループ(今時まさかの集団療法!?)訓練と称して集団で絵本を読み聞かせたり療法士が寸劇を演じたり・・・

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なんだこの茶番は。

 

 

なぜここの連中は目の前の患者に対して精神論やエンターテインメントばかりを追い求めて、

肝心の身体の機能に目を向けないのだろうか。

 

それともあらゆる可能性を模索しきった結果、そのような要素にたどり着いたのだろうか?

と。

 

 

重障者に対する臨床推論

 

私が目の当たりにした重障者は、

 

骨格の変形と筋膜の捻れや歪みによって手足の動きはもちろん、

最低限の運動機能(呼吸・循環・内臓活動)が破綻している

ことが、実際に触れてみてよく分かりました。

 

 

例えば、

骨格と筋膜が捻れる

→動かすことよりも固めて昆虫のように表面が硬くなる

→呼吸するための筋肉が固まる

→頚の筋肉が代償的に発達し、顔と首の太さが一緒になる

→太く硬くなった筋の影響で鎖骨や胸骨がさらに固まる

→首や肩を通る血管や神経を圧迫する

→常時苦痛に苛まれる

など。

 

 

ちょっと難しい表現になりましたが、

いわゆる「慢性的な肩こり患者」の病態解釈と考え方は大して変わりません。

 

 

構造の変化によって機能するべきものが機能しなくなると、

動物は「固める」という手段によって安定を得ようとします。

 

その結果、

人体の恒常性(環境を一定に保つ働き)に何かしらの支障を来たします。

 

 

このような原理原則に則って重障者を観察すると、

セラピストにしかできない仕事が山のようにあります。

 

 

 

 

現場の看護師はセラピストを見ている

 

 

色んな現場を見てきた中でも、ここの病棟で働く看護師の皆さんには頭が下がります。

 

決して「正常な身体になる」ことのない、

また常に命の危険に晒されている患者の生活を支援するために昼夜問わず重労働されている。

 

そして、

そんな看護師もまた忙しい業務をこなしながら我々セラピストの仕事ぶりを見ています。

 

私はこの職場で病棟スタッフと気軽に話ができるようになり、

セラピストに何を求めているのか、どんな仕事をして欲しいのかを水面下で調査してみました。

 

すると、

・重たい身体を何とかして欲しい

・身体が硬くてオムツを替えるのも苦労する

・浣腸を入れないと便が出ないのは変えられるか?

・食事がとれるようになる?

・脚の循環が良くなるために普段からできること?

・私のボロボロな身体を何とかして欲しい(←切に)

など。

 

逆に、不満や疑問について伺うと、

・集団で訓練に行ったり耳元で騒いだりするのが謎

・「ああしろこうしろ」と指示だけして自分は殆ど何もやらない

・この器具は本当に必要なの?専門家なら自分の技術で何とかできない?

など・・・

 

 

全てに当てはまるわけではないが、

現場で常に命と向き合っている者の訴えは決して軽んじてはならない。

 

 

 

技術あっての専門家

 

これらのやりとりを通して、やはりこの環境で円滑に仕事をする上で最も重要なことは

「看護師の負担を減らすことだ」

と判断しました。

 

このような発言をすると、

「看護師の肩をもつなよ、患者の視点に立て」

的な反撃が来そうですが、正直サラリーマンPTOTの自分よがりな価値感を嫌と言うほど見てきました。

 

結局「いい」と思って続けてきた集団訓練や感覚訓練は、

周囲からはその程度にしか映っていないし、そもそも「レクレーション」の次元なら支援員に任せればよいのです。

 

 

自分の徒手的な技術で勝負することを諦めたら、セラピストの存在価値は消える。

それは診療報酬の削減が切に物語っている。

 

それにもかかわらず、

セラピストが支援員のレクレーションを真似し始めた時は本当にあきれてしまった。

toratezza0316.hatenablog.com

 

なので、

私はできるだけ病棟で、看護師の居る場所で技術を提供し「リハビリテーション」の価値を見直してもらうことにしました。

 

もちろん全ての要望に応えられているわけではありませんが、

相談しやすい窓口くらいにはなれているんじゃないかなと感じています。

 

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まとめ

 

重障者という、非常に難易度の高い患者との向き合い方について職場の現状を交えて考察していきましたが、

肝心の「筋膜」の話は一部だけになってしまいました。

 

が、どのような環境であろうとも

・セラピストにしかできない仕事は何か?

・誰を主体に臨床推論を展開するべきか?

・どのような結果を期待するのか?

を明確にした上で価値を与える。

 

我々が生き残り、貴重な存在だと周囲に認められるにはそれに尽きる。

 

そのためにも、

遊んでる暇があったら技術を磨け、セラピストと名乗りたいなら。

 

 

少々辛口で終わります。

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。