環境の与え方が行動を制御する
今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。
寅丸塾の管理人です。
最近の記事はやや専門家向けの内容になってしまってますが、
難しいことを平たい言葉で表現するのは難しいですね…
前回は、
視覚と体性感覚を一致させる課題を提供することで、力任せな動きから効率的な動きにシフトする戦略方について述べていきました。
そのためには、
患者さん自身が自分の手や足に注意を向けたりセラピストの言葉から予測したりと、患者さんが主体的に治療に参加する努力も必要になります。
しかし、
臨床の現場では自分の手足に集中できない、認知的(知的)な問題を抱え、言葉のやりとり自体ができない場合も少なくありません。
私が現在勤務する療育センターでは、言葉のキャッチボールができる入所者はほんの一部のみですので、
認知運動療法士泣かせの現場と言ってよい環境です…
言葉が通用しないという問題
最近診た高齢患者さんの話です。
・転倒して大腿骨骨折、以降はほぼ寝たきり生活
・身体が丸まって(円背)固まり、自分の背中や足に手が届かない
・車椅子に乗せても自分の力で身体を支えられないのでクッションを詰め込んで何とか支えている(奉られている?)
・足は全く役に立っておらず、「宙ぶらりん」な状態
・知的な問題のため会話は殆どできないが、愛想はよくセラピストに興味を示す
こんな患者さん、医療従事者なら一度は見たことありませんか?
骨折する前はそれなりに立ったり歩いたりしていたらしいので、
足の筋力さえ戻れば自分の力で立つことが出来るだろう。
入院先のセラピストはそう考えました(多分)。
「よし、離床して立たせよう」
こうして足を使わせようとした結果、何も解決しなかった(むしろ苦痛が増えて閉じこもった)ようです。
このようなケースの場合、
外から見た世界(=外部観察)の問題は数え始めればキリがなく、「筋力」とか「関節の可動域」とか「車椅子の形」とか、矯正するターゲットを探していくのですが、中々上手くいかないことが多いです。
では、
中から見た世界(=内部観察)に目を向けてみるとどうか?
・骨折というネガティブな経験をしている
=足にも身体全体の感覚にも関心が薄れている
・身体を丸めて縮まっている
=「動くこと」よりとにかく安定したい
・足が宙ぶらりん
=役には立っていないが「邪魔な存在」ほどではない
・愛想がよい
=不快な経験でない限りは協力してくれそう
など、
戦略を立てる上で使えそうなパーツを組み合わせていきます。
アフォーダンスという考え方
「訓練」を提供する際、
課題を患者さんに理解してもらうにはいくつか手段がありますが、
私は主に以下の3つを使い分ける必要があると思っています。
①言葉を使って直接指示を与える
②模倣や指さしなど、非言語的な意志伝達
③アフォーダンス(注釈↓)
アフォーダンス(affordance)とは、「与える・提供する」という意味を持つ「afford」を元にした造語であり、「人や動物と物や環境との間に存在する関係性」を示す認知心理学における概念。(ジェームス・J・ギブソン)
環境や物は元から様々な使い方をアフォード(提供)しており、人や動物はその使い方を、説明なしでも過去の経験則から受け取ることができる。
例えば、
・ボタンは「押す」、レバーは「引く」
・ゴミ箱の蓋に開いた丸い穴は「カン」、平たい穴は「紙類」
・大きな風船は両手で挟むように持ち、取っ手の付いたコップは取っ手に合わせた手の形をつくる
・目の前の小さな障害物は跨いで歩けるが、大きな障害物は歩く方向を変えて避ける
これらのアクションは全て対象物が自分の行動をコントロールする、
認知理論で言う環境との相互作用です。
このような概念をアフォーダンスと呼び、
言葉を上手く使えない、模倣や指さしでの協力も難しい患者さんに狙った動きをさせる非常に重要な戦略の一つであると私は考えています。
アフォーダンスを応用する
話を戻します。
先ほどの患者さんは身体を丸めたいのではなく、
身体を丸める以外に安定する方法がない
と仮定すると、
丸める以外の身体が安定する方法を見つけるところからリハビリテーションはスタートするのが望ましい
と考えます。
そのためには、
関心の薄い部分の「感覚」が入ってくるべきなのですが、
やはり「宙ぶらりん」になっている「足」の存在が見過ごせません。
地に足をつけることは、
身体を安定させる原則であり、あらゆる動物が環境と相互作用するための基本なのです。
そこで、
「押す」という行動をアフォードする(引き起こす)環境を提供してみます。
できるだけ動きが分かりやすく、害が少なく、押した感覚が入ってきやすい刺激として
・風船
・バランスボール
・ウレタンマット
といった道具を選び、患者さんが動きやすい姿勢で手や足(特に足)を使ってもらいます。
押す方向
必要な力加減
体勢
を変えながら動いていただくと、
これまで封印していたお尻や背中の筋肉が働き出したようで、
ずっと丸まっていた患者さんの身長が伸びてきます。
それをご自身が言葉で表現する事はありませんが、
少しずつ身体の使い方を思い出してきているようです。
前回まで繰り返しお伝えしていますが、
身体を丸めている=力んでいる状態では感覚は入ってきません。
言葉が使えなくても「押す」という単純な課題をアフォードし、
自己と外界を繋げる「感覚」という要素を働かせることは、
身体を安定させる手段が丸めることから地に足をつけることへと変化させる戦略になってきているようです。
現時点では数回お会いした程度ですが、
回を重ねる毎に自分の足で何かを探索することが上手になっており、
「ちょっとでも自分の力で坐る」
という短期的な目標に大分近づいた(というか部分的にはクリアした)感があります。
まだまだ発展途上の段階ですので、どこまでリカバリーできるか?
介護ありきの生活は揺るがないですが、
自分の意思で座り方を直したり、
ベッドから離れるときに自分の足で少しは支えられるくらいの協力ができるかどうかは、介護する側にとって非常に大きな差です。
まとめ
久し振りに症例の話をしながら、セラピストにとって重要な視点について紹介しました。
言葉やジェスチャーが有効でない患者さんに対して、
アフォーダンスは環境が持つ動詞(押す・引く・持つ…)を利用して患者さんに何かしら行動を誘発する有効な手段になる可能性があります。
いわゆる重症者ほど、より低次なレベルで対象者の能力を確認したり誘導できると悩む時間も減ってくるかもしれませんね。
最近は専門的な内容が多くなって恐縮ですが、そろそろ脳科学シリーズもおしまいにしようと思います。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。