週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

分離と協調について

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

過ごしやすくなりましたね。

緊急事態もようやく終わり、今日は有給で子供の参観日(ミニ運動会)行ってきます。

何とか間に合った…

 

前回の記事はコチラ↓

toratezza0316.hatenablog.com

 

ということで、今日は来週のセミナーのテーマである「分離運動」について、自分の中で整理する意味も込めてお話します。

 

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セラピストの課題

 

医療の世界を長らく見てきて感じることは、

高齢者にとって何よりも重要なのは「健康寿命」です。

ただ長生きすることに動物学的な意味はありません(少なくとも自分にとって)。

 

 

地域で困っている人の力になる

 

これは自由診療を始めたときの私自身の思いでもありました。

 

ただ、

病院という閉鎖的で守られた環境で出会う患者と違って、

診断名も問題点も不透明な状態で、自分の責任の元に価値を提供する対価として報酬を受け取ることの「重さ」を感じました。

 

これは、

どれだけ病院の中で結果を出せていても、

どれだけイージーな病態だったとしても、

実際に体験してみないと分からない感覚です。

 

そんな経験を積み重ねてきたからこそ、今の自分が出来上がり後輩に伝えていけるだけの余力ができたのかもしれません。

 

 

 

 

さて本題です。

 

我々の仕事は対象者の「生活の質」を高めることですが、そのために最優先で考えることは

病的な動きを効率的な動きに変える

ことです。

※補装具や環境調整・社会資源・動作練習は補助的な手段。

 

専門的な言い方をすると、

分離運動の獲得です。

 

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分離運動の捉え方

 

分離運動と聞いて、

リハビリバカ セラピストが真っ先に思い浮かべるのは脳卒中片麻痺の手足です。

 

麻痺の程度にもよりますが、殆どの片麻痺患者は肩と肘と指先をうまく使い分けることができず、ぎこちない動作になります。

 

つまり、

分離した運動ができず共同的な運動パターン(共同運動:腕を前に出そうとすると肘と指が一緒に曲がってしまう等)が優位な状態です。

 

これに対して、

肩と肘、肘と手首、手首と指・・・

というように、各部位を使い分ける練習をしていく過程で「分離運動を学習する」ことになります。

 

 

一方で、

脳卒中以外の分野でも分離運動のできない患者というのはかなり多く存在します。

 

例えば、

慢性的な凍結肩(五十肩)の患者は「動かすと痛い」という経験から常に力んでおり、腕を上げるときは腕全体を固めたり息を止めたりしながらの動きになりがちです。

 

膝関節症の患者は、膝をできるだけ動かさないように、股関節から足元まで最小限の可動域で歩こうとするために身体全体を振り回したり動揺しながらのパターンになったりします。

 

つまり、

麻痺はもちろん外傷や加齢による身体構造の変化、「痛み」など様々な理由で、我々はこれまで習得してきた効率的な運動機能(分離運動)が封印され、特異的な病理(共同運動、伸張反射、連合反応…)が出現してくるわけです。

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鎧をまとった膝

 

 

ある顧客の話。

病院では変形性膝関節症と診断されている高齢女性。

 

初見では、

左手で杖をつき常に左重心、右足は膝を伸ばしきり股関節は曲がったまま。

よくあるhip戦略(=お尻を突き出したような恰好の歩き方)しかできません。

右足のどこを触っても痛く、床から足を持ち上げることもできません。

 

ちなみに、主治医からは膝の注射(一本16万円、保険適応外)を勧められたそうです。

 

ん?膝・・・?

あらゆる部位が機能していないのに、関節症という理由で膝のみをターゲットにする商売の正当性は…?

 

しかし日本では、特に高齢者にとって医者というのは絶対的存在です。

「この注射を打てばよくなる」

と言われれば、そうなのか?と思ってしまいますよね…

 

話が逸れましたが・・・

この顧客の問題は、

もはや膝という局所ではなく骨盤を含む身体の土台が崩れ、身体を安定させるには固めるという戦略しか選べない

ことにあるのだと解釈します。

 

大黒柱が折れた家を崩れないように支えるためには、

外壁や本来開閉する出入口を固めて動かないようにするのと一緒ですね。

 

これが、

筋膜的に言うと「ラテラルライン」や「スーパーフィシャルライン」に相当します。

 

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これらを硬く絞って鎧のようにまとい、「膝を分離させない」ことで一応歩けるわけです。

 

これは病院でも多く遭遇する問題ですが、

膝に集中しがちな患者の注意を、どれだけ開放してトータルのバランスを底上げられるか?

という、

セラピスト側の洞察力と患者自身の問題意識の変換が重要です。

 

この例で言うと、

「とにかく膝が痛い」「力が入らん」

という訴えに対して股関節の動きを確認すると、

股関節を単独で動かすことがほぼできません。

 

また、

膝に関係なさそうな腕の動きもかなり制限されており、肩甲骨は埋もれた状態です。

体幹に至っては、胸部と腹部の境界(=肋骨の下縁)すら不透明です。

 

つまり、

膝の構造的な不安定性を補うために表面の筋肉が代償的に働き外壁を強固にすることにコンディションを振っていき、呼吸や体幹(肩甲骨・骨盤含む)の微細な動きは捨てていきます。

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分離→協調

 

先ほどの問題に対して、私が選んだ戦略は…

 

①体の土台である骨盤が凍結した状態を溶かす

②単関節レベルでの股関節や肩、体幹の動かしやすい状態を定着させる

③複合動作における運動単位の収束

 

 

①②に関しては、

・腹斜筋-殿筋-大腿筋膜張筋

・起立筋-坐骨結節-ハムストリングス

・下前腸骨棘-大腿直筋-膝蓋骨

などなど・・・

骨盤を通過するあらゆるクロスポイントで滑走障害を生じています。

 

これらの問題を徒手的に、あるいは運動連鎖を利用することでリカバリーしていく作業が続きます。

 

 

ある程度①②が獲得されてくるタイミングで③へと進みます。

 

運動単位の収束とは、

ある動きをするのに必要な筋力を10として、現時点では50くらいの出力でやっているのを10に近づけていくこと。

 

つまり、

無駄な力を落として効率よく動ける

=協調的な動作にすること。

 

例えば、

「膝に力を入れて立っている」

というこの患者の本心は、

「膝を固めてないと不安定だから」。

 

なので、

「力を抜いて」という指導では患者の心に届きません。

 

そこで、

膝を固める代わりに筋出力の方向を明確化させてみます。

「かかとを床に沈めるようにして立ってみましょう」

 

すると、

膝を固める動きから、腿裏やふくらはぎで床から推進力を得る動作に切り替えることができました。

 

このとき、

「膝を固めなくても楽に立っておける」

という経験が患者の意識に刻みこまれると、運動学習という形で強化されていきます。

 

こうして学習できたことと、忘れてしまっていることを整理しながら、生活の質に直結していくように最近接領域での訓練をもうしばらく続けていきます。

 

 

 

まとめ

 

今回は分離運動をテーマに、久しぶりに症例の話を紹介しました。

後半は専門的な文章が多くなりましたが・・・

 

患者の経験する世界は基本的に健常者とはかなりズレがあります。

そのズレを、

修正できるものから修正していき「分離」「協調」動作につなげていくことが我々にとっての治療プロセス。

その手段はセラピスト次第なのですが、

私の場合は「筋膜」と「認知理論」を組み合わせることで自分のスタイルを確立しております。

 

来週のセミナーでは、この辺の内容を参加者と一緒にもう少し掘り下げて共有していきたいと思っております。

自分なりの方法でしか伝えることはできませんが、それに価値を感じてくれる人がいる限りは細々と続けていきます。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。