あれから2年。
今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。
寅丸塾の管理人です。
今日はいつもの話とは全く関係ない話。
2019年7月18日。
二年前の今日、戦後最悪の放火事件が起こった。
京都アニメーション放火殺人事件。
36人の社員が犠牲となり、その中には私の旧友がいた。
西屋太志さん。
広島県出身の彼とは、保育所・小学校・中学校まで毎日顔を合わせる仲だった。
子供のころから絵が上手く、
物静かで自己主張をする人ではなかったが、
勉強もスポーツもそつなくこなし、
その穏やかな人柄からいつも周りに信頼されていた。
そんな彼をうらやましく感じながらも、私自身も彼が大好きだったのでよく家に遊びに行った。
あれから30年弱。
職人として彼は認められ、作画監督として順風満帆に思えるほどの活躍をしてきた。
ただ、
そこに至るまでどれだけの努力をしてきたかそばで見てきたわけではないが、
私自身も職人の端くれなので、何となく分かる。
それだけに、
この事件をテレビで知ったときは手が震えた。
きっと、
あの場所にいた方たちは希望にあふれた将来有望な職人がたくさんいただろう。
それでも彼だけは無事でいてほしいと思ってしまった。
かなわぬ思いだったが。
この事件の犯人の名前を思い出すこと自体腸が煮える思いだが、
それでもこの男は刑を執行されるまでは生きて、残された人達に真実と心からの謝罪を述べていく義務がある。
この男を治療に当たったすべての医療従事者には本当に頭が下がる想いだ。
会話はできるようだがあらゆることに介助が必要な状態らしい。
リハビリテーションを指導する人はいるのだろうか。
そもそもリハビリテーションの適応なのだろうか。
きっと、業務命令であっても自分にはあの男の治療にあたることはできないだろう。
・・・そんなことはどうでもいい。
私は今も西屋くんが幼少期を過ごした町で過ごし、
自分の子供にも同じ保育所、同じ小学校に通わせている。
焼香に伺ったご実家には、今もご両親が傍目には元気で暮らされている。
どうか、これからもお元気で過ごされてほしい。
私たち同級生も、
彼のことを忘れることなく、「日常」を大切にしていきたいと思う。
事件から2年が経った今、
事件のことを忘れないためにこうして書き残すことにした。
最後に
私は彼の幼少期の友人の一人にすぎない。
が、
私も一人の職人として、彼の分まで悔いのない職業人であり続けようと思う。
彼の手掛けた作品が、一人でも多くの人に見てもらえることを心から祈って、
追悼の意を表する。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。