週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

セラピストの価値について

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

寅丸塾の管理人です。

 

毎月恒例となったセミナーですが、今月も無事に乗り切って一安心です。

 

今日の記事は、その復習的な話(多分…)。

 

toratezza0316.hatenablog.com

 

 

 

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仕事の価値とは?

 

我々セラピストが仕事をする上で、常に直面するのが

「目の前の患者に、今どのような動きを教えるべきか?」

という思考です。

 

つまり、

自分の力では上手く起き上がったり坐ったりできない患者に対して、

何を評価して治療の優性事項を考えるか?

という作業。

 

 

多くの病院業務において、

リハビリテーションの依頼

→入院患者の部屋に伺う

→対象者は横になっている

 

という状況からスタートすることが多いですが、

圧倒的に多いのが

「柵につかまれば起きられます」

という状況ですね。

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そして、

多くの場面においてセラピストは

「ベッド柵につかまること前提」

で日常動作の練習に入っていきます。

 

 

ただ、ここで疑問が湧きます。

 

柵ありきで話を進めてよい?

 

 

柵に依存した運動とは、

自分の姿勢を自分で制御することなく、

より安定する物に依存した取り繕いに過ぎない

という風に考えることができます。

 

つまり、

姿勢制御→随意運動

の原則を無視した課題指向と言えます。

 

 

実際の現場では、

 

・そんなこと言ってられない

・どんな手段でもできればよい

 ・ADL日常生活動作の点数が上がればよい

という主張が挙がってくることも承知。

 

では、

なぜ時間を割いてまで「リハビリテーション」という業務が存在するのか?

 

それは、

動き方の選べない対象者に

動き方を選べるようにする

 

のがセラピストの役割だと私は思っています。

 

そして、

「柵に軽く手を触れる程度で起き上がれる身体」

にする事ができたら、

結果的に

対象者自信が「動き方」を選べ、ADLの点数も自然に上がってくる。

 

言うなれば対象者の生活の質(QOL=Quality of life)の底上げ。

 

それこそが「リハビリテーションの価値」であると私は考えます。

 

 

 

価値を与えるから「専門家」

 

ということで、

我々の仕事の価値は「対象者のQOLを高めること」ですが(※少なくとも私の中で)、色んな所でよく議論されるのは

理学療法作業療法はどうあるべきか」

です。

 

年々失われつつあるセラピストの価値を高めるために、

・対象者のニーズを細かく拾う

・他職種に啓蒙滑動をする

・業務を細かく分ける

・対象者の改善度を点数化する

・自宅復帰率を上げる

等々…

 

正直、

嫌というほどこのような議論に巻き込まれてきました。

 

しかし、

何故かこの議論にあまり考慮されてこないのが

セラピスト自身の実力をつける

という視点。

 

 

はっきり言って、

肩こり一つ治せない療法士を専門家と呼んでいいのだろうか?

 

その程度の実力しかないヤツが何をやっても表面的なことしかにしかならないよね…

と、私はいつも思う。

 

結局、

自分の手で病理を多少でも変えられるかどうか。

信頼されるセラピストってのはそういう存在。

 

寅丸塾はそういう存在になりたい連中の集まりだ。

 

 

 

動きの基本を考える

 

話を戻しましょう。

 

今回の参加者の中に、

すごく身体の重たそうな人がいるのか気になった私は、

実技を見せるに当たってその人を軽く評価してみることにしました。

 

パッと見ただけで「樽状胸郭」であることが分かった彼の身体は、

横になった状態では肩も腰も非常に重く、外からの衝撃(圧をかける)に対して非常に痛みが誘発されやすい

病院でよく見る呼吸器疾患を抱えた患者のようでした。

 

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これが何を意味しているかというと・・・

 

教科書的には、

タバコなどの有害物質が肺の細胞を破壊

→気管支が潰れ、気道が狭くなる

→努力呼吸によって気道を広げるが、死んだ肺細胞のスペースに空気が溜って流れのない場所ができる

→肺は膨張して円筒型の胸郭になる
・・・

 

ちょっと専門的な話ですが、要は

換気が悪くなればそれを補うために頑張って呼吸し、身体は徐々に凹凸がなくなっていき筒状になる

といった感覚でしょうか。

 

つまり、

当り前の感覚として凹凸のない身体には質の高い動きは期待できず、

多くの患者のように制限の多い、動きの硬さが目立ってくる

ということです。

 

そのような対象者を診る上で、最も優先すべきことは

「楽に動けるようにするにはどうしたらよいか?」

という視点。

 

そして、

凹凸をつくる上で欠かせないのが

「肋骨の動きをつくる」

という臨床思考。

 

最近の記事でも書いた、肋骨のズレについて。

toratezza0316.hatenablog.com

 

体表面から樽状に膨張した胸郭に変化をもたらすために、

最も分かりやすい指標として「肋骨の動き」を考えます。

 

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「〇〇筋の…」とか難しい話は置いといて、

このような左右のズレを生み出すことで、人間の身体はよりダイナミックな動きを作ることができます。

 

「寝返り」という動作においても、

肩と腰を上手く捻るような動きを作ることができます。

 

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このような原則的な要素を考慮することで、

最初に挙げた「柵に頼る動き」から脱却することにつながるのではないかと考えます。

 

もちろん、

高齢者など関節自体の構造的な問題を抱えていれば限界は低くなりますが、

健常者でこの程度の動きが出せないようでは、

そもそも健康寿命もたかが知れてきます。

 

そういった動きの質的な変化をもたらす実技を紹介しました。

※本人的には「めっちゃ楽になった」と言うてましたが、その後まずは自分の身体と向き合うという課題はどうなったでしょうか・・・

 

参加された皆さんには、ぜひとも自分の手で対象者の動きを変えていけるように精進していただきたいです。

 

 

まとめ

 

筋骨格系の問題に対して、

対象者の動きの質を改善するための戦略を考えることは、そのままセラピストの価値に直結します。

 

対象者=患者

だけでなく、

・動きに制限がある

・努力性だ

・痛い

etc・・・

といった健常者でも抱えがちな問題も、基本的には同じスタンスで診る目を養っていくことは超重要でしょう。

 

仕事の価値を考える上でも、個の力をつけることを最優先事項と考えるセラピストが増えてくることを祈っています。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。