週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

頭痛に対する治療とは?

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最近、気候の変動に伴って妻に頭痛の症状が現れました。

元々生理不順で身体も硬く、小柄な体格に同職種者という職業柄 身体的なストレスが蓄積されやすいようです。

 

筋膜性のトラブルに関しては比較的簡単にコントロールできるのですが、女性の身体は何せ複雑です。

 

以前こんな記事を書きましたが・・・

toratezza0316.hatenablog.com

 

 少しおさらいすると、

人間の呼吸方法は「肺」ともう一つ、

脳と脊髄の表面を流れる「脳脊髄液の循環」

によって成り立っています。

 

脳脊髄液とは、衝撃を吸収し栄養分と老廃物を血流と交換することによって中枢神経(脳と脊髄)を支える水分のことで、

豆腐のように柔らかくデリケートな脳を取り囲むことで保護しているわけですね。

 

現代人は情報過多な世界に住んでおり、とにかく脳へのストレスが著しい上に栄養や消費のバランスも怪しくなりがちです。

 

すると、

中枢神経系の疲労に対して脳脊髄液からの供給が追いつかない

という事態が発生します。

 

したがって、

脳や脊髄が栄養不足になればホルモンや自律神経関連のトラブルが出現してくる

ということも理解しやすいかと思います。

 

代表的な現象としては頭痛、生理痛、冷え症、便秘、腰痛etc...

 

これらの問題は女性に多い傾向にあります(女性にしかないものもありますが・・・)が、

やはり身体構造的に男性よりも女性の方が脆弱性が高いということなのでしょうか。

 

これらのトラブルを改善させるためにはライフスタイルや生活環境の見直しが重要になってきます。

 

ただし、

我々は「はいそうですか」と自分の生活パターンを聖人君子のごとく整えることなどまずできませんし、

そもそも目に見えない指標に対してストイックに取り組むモチベーションを維持すること自体が人間は苦手です。

 

 

そこで、

セラピストである私は、外から循環を改善させるという方法を選択します。

 

以前にも申し上げたように、

頭の骨は一塊のものではなく伸び縮みするような構造になっており、脳脊髄液の循環に合せて頭の丸みが膨らんだりしぼんだりする

=「一次呼吸」が成立しています。

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ちょうど歯車のように頭の骨同士が連動して機能しているといった感覚でしょうか。

 

妻の場合、

頭を覆うように両手で触れたとき、右側に対して左側の動きが不鮮明で頭皮の滑りも抵抗がありました。(もっとも、頭の動きなんてコピー用紙1枚分程度の厚みの変化しかありませんが・・・)

 

これに対して左の動きを広げていくような操作を加えます。

 

すると、

頭蓋骨の動きに対称的なものになってきます。

 

その直後、

「頭がスッキリした」

「軽くなったよ」

「痛みがどっか行った」

と明らかに変化が生じます。

 

一次呼吸の状態が身体のコンディションにおいて極めて重要であることが分かりますね。

 

 

脳血管関連の病態をお持ちの方などは、特にこの辺りのフィジカルアセスメントが必要ではないでしょうか。

脳の可塑性(元に戻ろうとする力)を発揮する上では脳が良好な栄養状態を確保することが大前提です。

セラピストは目に見える現象だけでなく、身体の原理原則に基づいた治療を考慮してみてはいかがでしょうか。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

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腰痛の原因を鑑別する

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やっとブログのテーマにふさわしい内容を再開します。

 

当たり前のことかも知れませんが、

高齢者の身体は、その方のライフスタイルが年月を経て構造上の変化と、それに伴う組織の微細損傷を来たしている場合が多く、

いわゆる「健康老人」であっても高齢者の約50%が何かしらの「痛み」を抱えている、という現状があります。

 

したがって、

膨れ上がる介護問題や、医療費云々といった課題に対して我々セラピストが現場レベルで出来ることは、

高齢者の自立度に直結する「痛み」という問題をどれだけ改善に導けるか

に集約されると思っています。

それによって不必要な投薬や税金の流用を防ぎ、何よりも顧客の健康寿命を高める可能性を持った、唯一無二の職種だと信じています。

 

 

 

先日、腰痛を主訴に相談を受けた90歳代の男性の話です。

 

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私の存在を紹介されてやってきたその方は、身だしなみをきちんと整えておられ、一目で他者に依存することをよしとしない方だと分かりました。

 

「病院は行ってもまともに取り合ってくれんよ」

「揉み医者には何回か通ったことがあるんじゃが・・・」

「家の中でも杖をつかんと歩けんようなってね・・・」

 と、やはり色々な経験をされた上での来訪です。

 

地域柄、畑仕事をライフワークにされている方が多いのですが、

しゃがんだり土を掘ったりと機械的なストレスに晒され続けることで姿勢を制御する組織の筋疲労が慢性化し、徐々に本来のパフォーマンスを発揮しにくくなります。

 

これまで繰り返し紹介してきたように、

筋疲労が慢性化している組織を単純に「筋力が弱い」と一括りにして鍛えさせようとすると、かえって組織損傷を招くわけです。

 

その結果、

「頑張って脚の力をつけたり歩くリハビリをしてはいるんですけど痛みが強くて中々距離が伸びませんね・・・」

などと言い訳をすることになります。

 

 

高齢者の多くに見られる特徴として股関節の可動性、特に伸展方向への制限があります。

平たく言うと前傾姿勢をとりやすく、歩く時には股関節の動き自体が少ない

という現象です。

 

 

骨格筋の中で最も大きな「大殿筋」というお尻の筋肉は、姿勢を保つ上で重要な役割を担います。

 

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オーバーワークや老化によって大殿筋が硬くなる

→「お尻を引き締める」という機能が衰える

→上体が重力に負け背筋が過剰に働く

→頸から腰の全域が疲労し体幹の柔軟性も破綻する

 

結果、 

寝返りや起き上がること自体が難しくなり、体幹を使うあらゆる動作が稚拙になってくるんですね。

 

これが世間的に「年のせいですね」と言われて終わる腰痛の病態(の一例)ですが、

この方のフィジカルアセスメントにおいてもまさに大殿筋のトラブルを抱えていました。

 

 

したがって、エクササイズの目的は

「大殿筋の働きが安定して効率よく姿勢が保てるようになること」

体幹の柔軟性を確保すること」

となります。

 

 

硬さが取り除かれてくるとその場で「腰が軽く」なり、起きたり立ち上がったりが「楽になった」と自覚されるのが確認できます。

 

帰宅後は、これまで痛みのために出来なかった畑に出てみたところ調子よく作業ができたそうです。

 

 

現在のシステムでは、

高齢者は痛みのために生活に支障を来たした時点で認定を受け介護支援的なサービスを検討するところです。

しかし、

地域に筋骨格系に精通した「かかりつけ」がいれば適切なフィジカルアセスメントを基に早い段階で根本的な問題を解決出来る可能性が高まります。

 

私はそのような存在になるべく、日々出来るだけ多くのことを吸収して高い価値を提供するべく動いています。

 

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高い水準のルーティンをつくる

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そろそろ臨床的な内容を含んだ記事を再開していこうと思います。

その前に、

少し前から戦うステージが変わり、働き方にゆとりを感じるようになりました。

 

結果、

朝のピリピリした感じや迷走してばかりの組織の方向性に振り回されることなく、穏やかな気持ちで臨めるようになりました。

 

思いのほかメンタルコンディションは重要で、対象者と向き合う前に自分の内面が安定していることで精度が上がって来たように感じます。

 

また、

私の価値を認めて下さる新しい繋がりができ、私自身も「与える者」としての人生のタスクを大切にしていきたいと思っています。

 

 

さて、

我々セラピストに限らずあらゆる仕事には「引き継ぎ」というものがあります。

 

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前任者から仕事の内容を受け、消化した上で自分の能力が発揮できる戦略へと落とし込む作業だと理解しています。

 

したがって、

「前任者と全く同じことをしなければならない」などということはほぼないでしょう。

 

 

ある仕事の目的に対して、

目先の目標やそれに到達するために必要な戦略を立て、

実際の戦術として実働する。

 

つまり、

引き継ぐときに最も重要なのは顧客が抱える問題や利用できるリソース、長期的な展望などであって、具体的な手段は新しい担当者が自分の価値感と責任において判断することだと思っています。

 

特に専門家の集団では、それらが横の関係を築く上で重要です。

 

「〇〇を何回」

「××を何分」

「△周歩く」

というメニューの押しつけはいわゆる「使いっ走りのデレゲーション」と呼びます。

 

レゲーションとは、所有している権利や責任を他者に譲ることです。

「こうしろ」「ああしろ」という戦術のみの指示は極端な話「奴隷やパシリ」として扱うということになり、責任も権利も譲ったことにはならないため指示した方の負担は変わらず有能な人材も育ちません。

 

仕事を任せる相手の自由意志や自覚、良心、想像力を尊重すること、結果に責任を持たせることで、時間はかかるが後に何倍もの効果を生み出すことに繋がる

とスティーブン・R.コヴィーは言います。

 

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世界的に有名な著書ですし、全てを紹介するとなると非常に骨が折れる作業になりますが何度読み返してもその都度気づきが得られる本です。

 

いつの間にか臨床関係なく最近のパターンになってしまっていますが・・・

セラピスト1人1人が自己責任において課題と向き合うことをルーティンワークとしていけるよう働きかけていきたいと思っています。

 

 

7つの習慣についてはまた事ある毎に触れていこうと考えています。

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

 

伝え方で人生が変わる!?

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どのように文章を書けば心に響くメッセージができるのか、日々本や多くのブロガーの皆さんの記事を読み漁り参考にさせていただいています。

 

そんな中、あるコピーライターの著書から心に刺さる英語訳の文章を見つけました。


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この時代に生きる 私たちの矛盾

ビルは空高くなったが 人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 得る物は少なく
たくさん物を買っているが 楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 家庭は小さくなり
より便利になったが 時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても センスはなく
知識は増えたが 決断することは少ない

専門家は大勢いるが 問題は増えている
薬も増えたが 健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 笑うことは少なく
猛スピードで運転し すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で テレビは長く見るが 祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 人生を学んではいない
長生きするようになったが 長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが より良いことはなしえていない

空気を浄化し 魂を汚し
原子核を分裂させられるが 偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 待つことは覚えず

計画は増えたが 成し遂げられていない

たくさん書いているが 学びはせず
情報を手に入れ 多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 人格は小さく
利益に没頭し 人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに 家族の争いはたえず

レジャーは増えても 楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても 栄養は少ない

夫婦でかせいでも 離婚も増え
家は良くなったが 家庭は壊れている

忘れないでほしい 愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 1円もかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に「愛している」と言うことを 心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り その時間を慈しむことを

愛し 話し
あなたの心の中にあるかけがえのない思いを分かち合おう

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない

どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ

 

 

この原文はボブ・ムーアヘッド牧師の説教として知られていますが、

コピーライティングのプロでもぐぅの音も出ないほど秀逸な技法が使われた文章だそうです。

 

この本では大きく分けて2つのテクニックが紹介されており、

相手の立場に立ってメリットを強調する

強い言葉を使う

という切り口ですが細かいテクニックはさておき、

結局のところ人は感動によって動かされるということは理解しました。

 

自分の利益のために読んだ本で、生き方を反省させられるとは。

 

結局何が言いたかったのか結論が不明確になりつつありますが、

家族や顧客、同僚・・・目の前の一人一人から信頼口座を高める役割に務めていこうと思いました。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

自立とは何を指すのか?

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自立という言葉について、以前から考察してきたことを記事にします。

あなたがもしセラピストなら、この単語からは即座にADL(日常生活動作)のことをイメージされるでしょう。

 

もちろんリハビリの対象者が自分のことを自分でできることは重要ですし、目指すべき目標であることは間違いありません。

 

ただ、もう少し広い意味で考えるとき、我々は何をもって「自分は自立している」と判断できるのか。

 
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この本の中で、自立についてこのように述べられています。

 

子どもは身体的な劣等性から、己の弱さをアピールすることで周囲の大人を支配し、自分の望み通りに動いてもらわなければ明日の命さえ危うい。

甘えやわがままで泣いているのでなく、生きるためには世界の中心に君臨せざるを得ない。

全ての人間はこの過剰な程の「自己中心的」なライフスタイルから出発するが、いつまでもその場にはおれず自分が世界の一部だと了解しなければならない。

つまり、自立とは自己中心性から脱却して「私の幸せ」でなく「私たちの幸せ」を考えられるようになること

だと言います。

 

 

私は大学を卒業し就職したとき「やっと自分は自立した」と感じた覚えがありますが、この考え方に基づいて振り返ってみると

就労しているかどうか、経済的に充足しているかという問題ではなく人生への態度やライフスタイルという側面において、

仕事の質よりも自分の利益(趣味や金銭的な充足)のためだけに過ごしてきたという点で子供時代と大差なかったな

という結論に至り、まぁまぁヘコみました。

 

人間は誰しも他者から認められたい、特別な存在でありたいという欲求を少なからず持っています。

私など特にその傾向が強い人間だと恥ずかしながら自分でも思います。

極端な話、「国家資格持ったから一人前」とか、「大きな病院に勤めてるんだから優秀でしょ?」と心のどこかで思っていた暗黒の時代がありました。

 

私の原点 - 尾道の疼痛専門セラピスト のブログ

 

「私を尊敬しろ」「私を愛せ」などと言う人間に尊敬が集まるはずがありませんし、愛されるとも思えません。

 

与えよ、さらば与えられん

 

という言葉があるように、他者から信頼を得たければこちらから無条件に信頼を寄せなければならないという原則があります。

 

我々の仕事で言えば、

顧客の話を聞いてどのような価値観や希望を持っているかを確認する。

顧客の利益に直結するものを提供する。

課題が複数あると感じたら、顧客が笑顔になれる方法を選択をする。

 

究極的には顧客を愛するよう努めるという人生の態度を選択するかどうか。

なお、誰かを愛することは単なる激しい感情ではなく、決意や約束、貢献することや二人で成し遂げる課題であるとアドラーは言います。

 

これらの課題を通して、主語が「わたし」から「わたしたち」に変化することで自然と信頼が生まれ自立した人間と言えるのですね。

 

セラピストは対象者を医学的な視点での自立へガイドする事はもちろん大事なのですが、自分自身も自立した存在かと問い続けることが必要になりそうです。

 

 

なんだか抽象的な話になってしまいましたが、前作も含めて何度読み返しても自分の人生について考えさせられる本だなと感じさせられます。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

環境に適応する

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仕事において、私が最も重要視する言葉があるとすれば

「適応性」

という概念です。

 

ここで言う適応性とは「状況や環境に合うように自分を変えていくこと」で、我々の仕事においては、

病理を制御する事で効率よく運動が発揮され、生活の質を高めるという考え方です。

とはいっても、今日の記事は臨床とは全く関係ない旅先での記録です。

自分の適応性が試される数日間の出来事を振り返ります。

 

 

今日まで沖縄を旅していました。

もちろん羽を伸ばすためなのですが、これまでがこれまでだっただけに「こんなにのんびりしていていいのか」とすら感じるほどの時間を過ごさせていただきました。

 

ただ、今現在沖縄は梅雨真っ只中で滞在中まともに「晴れた」日はありませんでした。

↓帰る頃にようやくうっすら晴間が出てきた浜辺
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子供と一緒に海を楽しむはずが、蒸し暑い上に雨の中現地移動を余儀なくされることに。

 

ずっと降られていた訳ではないものの、必然的にイメージしていたブルーオーシャンを味わうことなく…

 

まぁどうにもならないことを嘆いても何も始まりません。

 

沖縄には沢山見所があります。

美ら海水族館やフルーツランドなど屋内型のレジャーを上手く組み込んだり、沖縄独特の並木道を散策するのも雨を回避する戦略として使えました。

 
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1番子供が楽しんでくれたのは琉球ガラスを使ったフォトフレーム作り。

 

体験型のイベントは予定していませんでしたが、やってみるとこれがまた面白い。

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細かい作業はパパママに頼りますが、キラキラ光るガラスに夢中になってくれたおかげで雨の中でも楽しく過ごせたのでした。

 

 

沖縄の人はあまり天気予報を気にしないそうです。

地域柄天気が変わりやすいのもあるでしょうが、その場に合わせて環境適応する柔軟性があるということ。

自分のように「予定を立てなきゃ気が済まない」性質とは大分違うんですね。

 

そもそも

旅の目的は「家族で素敵な思い出をつくること」ですので、

あぁしなきゃいけない

こうしなきゃいけない

という決まりなど最初からなかった訳です。

 

この考え方は仕事にも多いに役立てるはず。

目的に対してどのような戦略や戦術を選択するか、引き出しが多いに越したことはないでしょうが枠にはめ込むだけではダメだということですね。

 

また明日から、自分のミッションや目の前の課題に向けて準備していきます。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

公平と平等

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あなたは「公平」「平等」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持たれますか?

 

どっちも同じじゃろ?(※広島弁)

 

と思われた方はぜひ最後までお付き合い下さい。

 

 

我々が普段買い物をするとき、大抵の商品には消費税がかかります。購入者が金銭的に豊かであるかどうかに関係なく。

これが「平等」です。

 

一方、かつてあった物品税のように、生活必需品には課税しないが貴金属や外車など生活にゆとりのある人が買うような贅沢な品物には高額の税金を課す。

これが「公平」です。

 

私のいた組織を含め多くの組織で、公平ではなく平等の精神が浸透しすぎている

と感じていました。

 

年功序列制度や決して例外のない報酬基準、業務の質よりも量で成果を判断する体質…

 

平等にプレーするとゴルフのスコアでプロに勝てるはずがない。

平等に給食を与えると身体の大きな生徒には足りないし、小さな子には多すぎるかもしれない。

平等に仕事を割り振ると個々の能力次第で「手に余る」状況が必ず生じる。

 

つまり、「平等」は正しく美しい言葉に聞こえますが、公正な評価をせずに一律な扱いをすることで、かえって不公平になる悪平等というものが現実的にははびこりがちになります。

 それによって、最も不利益を被るのは顧客一人一人であり、それをバックアップする人間はそもそもこのような組織にはあまり見かけません。

 

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この本の核心はもっと他のところにあるのですが、筆者は自身の経営経験から、

教育や訓練を受ける機会はなるべく全社員に与えるが、努力して出した成果に対する評価と、その評価にふさわしい処遇は決して平等であってはならない。正しい意味での差別待遇が必要である

と断言します。

 

我々は専門職という立場上、仕事をする場を与えられて報酬を受け取るのが一般的なのですが、

自分の時間を単純に提供しているだけの人間と顧客に喜んでいただくことにフォーカスしている人間では、仕事の質が明らかに違ってきます。

 

つまり、

患者にリハビリをさせるために病院に勤務しているセラピストと、顧客に笑顔になって頂くために仕事をしているセラピストでは結果も顧客からの信用度も違って当然だ

という話になります。

 

 

これは1つの例ですが、

夕方、近所の主婦から「ビールを1ダース」注文された酒屋は注文通りビールを用意します。

ただし、繁盛している酒屋は6本入りのケースを1個と冷蔵庫でキンキンに冷やしたケースを1個、合せて2ケース届けます。

夕飯の支度をしながら「主人が飲むビールが切れている」ことに気がついた主婦の意図を察した上で、注文のときに「冷えたビール」と言い忘れても冷えたビールを届けることで顧客の期待を上回るサービスを提供したということです。

 

 

組織や専門家にとっての「冷えたビール」とは何か。

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提供する商品の品質を高めることは言うまでも無いのですが、そのためには組織の中で個々の品質を高めることが前提条件だといいます。

 

これらが実践できて初めて公正な取引が成立するわけですね。

 

そして、それを正しく評価するシステムがあれば、組織の中でも公平な待遇が期待されます。

 

社会貢献や奉仕という綺麗な言葉を経営理念として額縁に入れて飾っている組織はたくさんありますが、

それに相応しい品質を磨いている組織で働けることは社員と顧客両者とも幸せなのだと思います。

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

※このブログは痛みにお悩みの方、痛み治療にお悩みのセラピスト向けに発信していますが、都合により最近は少々脱線気味なことをご容赦下さい。

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