自立とは何を指すのか?
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自立という言葉について、以前から考察してきたことを記事にします。
あなたがもしセラピストなら、この単語からは即座にADL(日常生活動作)のことをイメージされるでしょう。
もちろんリハビリの対象者が自分のことを自分でできることは重要ですし、目指すべき目標であることは間違いありません。
ただ、もう少し広い意味で考えるとき、我々は何をもって「自分は自立している」と判断できるのか。
この本の中で、自立についてこのように述べられています。
子どもは身体的な劣等性から、己の弱さをアピールすることで周囲の大人を支配し、自分の望み通りに動いてもらわなければ明日の命さえ危うい。
甘えやわがままで泣いているのでなく、生きるためには世界の中心に君臨せざるを得ない。
全ての人間はこの過剰な程の「自己中心的」なライフスタイルから出発するが、いつまでもその場にはおれず自分が世界の一部だと了解しなければならない。
つまり、自立とは自己中心性から脱却して「私の幸せ」でなく「私たちの幸せ」を考えられるようになること
だと言います。
私は大学を卒業し就職したとき「やっと自分は自立した」と感じた覚えがありますが、この考え方に基づいて振り返ってみると
就労しているかどうか、経済的に充足しているかという問題ではなく人生への態度やライフスタイルという側面において、
仕事の質よりも自分の利益(趣味や金銭的な充足)のためだけに過ごしてきたという点で子供時代と大差なかったな
という結論に至り、まぁまぁヘコみました。
人間は誰しも他者から認められたい、特別な存在でありたいという欲求を少なからず持っています。
私など特にその傾向が強い人間だと恥ずかしながら自分でも思います。
極端な話、「国家資格持ったから一人前」とか、「大きな病院に勤めてるんだから優秀でしょ?」と心のどこかで思っていた暗黒の時代がありました。
「私を尊敬しろ」「私を愛せ」などと言う人間に尊敬が集まるはずがありませんし、愛されるとも思えません。
与えよ、さらば与えられん
という言葉があるように、他者から信頼を得たければこちらから無条件に信頼を寄せなければならないという原則があります。
我々の仕事で言えば、
顧客の話を聞いてどのような価値観や希望を持っているかを確認する。
顧客の利益に直結するものを提供する。
課題が複数あると感じたら、顧客が笑顔になれる方法を選択をする。
究極的には顧客を愛するよう努めるという人生の態度を選択するかどうか。
なお、誰かを愛することは単なる激しい感情ではなく、決意や約束、貢献することや二人で成し遂げる課題であるとアドラーは言います。
これらの課題を通して、主語が「わたし」から「わたしたち」に変化することで自然と信頼が生まれ自立した人間と言えるのですね。
セラピストは対象者を医学的な視点での自立へガイドする事はもちろん大事なのですが、自分自身も自立した存在かと問い続けることが必要になりそうです。
なんだか抽象的な話になってしまいましたが、前作も含めて何度読み返しても自分の人生について考えさせられる本だなと感じさせられます。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。