公平と平等
今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。
尾道で唯一の疼痛治療専門家のブログへようこそ!
あなたは「公平」「平等」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持たれますか?
どっちも同じじゃろ?(※広島弁)
と思われた方はぜひ最後までお付き合い下さい。
我々が普段買い物をするとき、大抵の商品には消費税がかかります。購入者が金銭的に豊かであるかどうかに関係なく。
これが「平等」です。
一方、かつてあった物品税のように、生活必需品には課税しないが貴金属や外車など生活にゆとりのある人が買うような贅沢な品物には高額の税金を課す。
これが「公平」です。
私のいた組織を含め多くの組織で、公平ではなく平等の精神が浸透しすぎている
と感じていました。
年功序列制度や決して例外のない報酬基準、業務の質よりも量で成果を判断する体質…
平等にプレーするとゴルフのスコアでプロに勝てるはずがない。
平等に給食を与えると身体の大きな生徒には足りないし、小さな子には多すぎるかもしれない。
平等に仕事を割り振ると個々の能力次第で「手に余る」状況が必ず生じる。
つまり、「平等」は正しく美しい言葉に聞こえますが、公正な評価をせずに一律な扱いをすることで、かえって不公平になる「悪平等」というものが現実的にははびこりがちになります。
それによって、最も不利益を被るのは顧客一人一人であり、それをバックアップする人間はそもそもこのような組織にはあまり見かけません。
この本の核心はもっと他のところにあるのですが、筆者は自身の経営経験から、
教育や訓練を受ける機会はなるべく全社員に与えるが、努力して出した成果に対する評価と、その評価にふさわしい処遇は決して平等であってはならない。正しい意味での差別待遇が必要である
と断言します。
我々は専門職という立場上、仕事をする場を与えられて報酬を受け取るのが一般的なのですが、
自分の時間を単純に提供しているだけの人間と顧客に喜んでいただくことにフォーカスしている人間では、仕事の質が明らかに違ってきます。
つまり、
患者にリハビリをさせるために病院に勤務しているセラピストと、顧客に笑顔になって頂くために仕事をしているセラピストでは結果も顧客からの信用度も違って当然だ
という話になります。
これは1つの例ですが、
夕方、近所の主婦から「ビールを1ダース」注文された酒屋は注文通りビールを用意します。
ただし、繁盛している酒屋は6本入りのケースを1個と冷蔵庫でキンキンに冷やしたケースを1個、合せて2ケース届けます。
夕飯の支度をしながら「主人が飲むビールが切れている」ことに気がついた主婦の意図を察した上で、注文のときに「冷えたビール」と言い忘れても冷えたビールを届けることで顧客の期待を上回るサービスを提供したということです。
組織や専門家にとっての「冷えたビール」とは何か。
提供する商品の品質を高めることは言うまでも無いのですが、そのためには組織の中で個々の品質を高めることが前提条件だといいます。
これらが実践できて初めて公正な取引が成立するわけですね。
そして、それを正しく評価するシステムがあれば、組織の中でも公平な待遇が期待されます。
社会貢献や奉仕という綺麗な言葉を経営理念として額縁に入れて飾っている組織はたくさんありますが、
それに相応しい品質を磨いている組織で働けることは社員と顧客両者とも幸せなのだと思います。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
※このブログは痛みにお悩みの方、痛み治療にお悩みのセラピスト向けに発信していますが、都合により最近は少々脱線気味なことをご容赦下さい。
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