「〇〇が出来る」とは「問題がない」という意味ではない
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寒くなりましたね。
この時期、病院では脳血管疾患、いわゆる脳卒中患者が急増してきます。
今日はそんなお話です。
どんな肩書きを持っていようとも、
療法士にとって脳卒中患者さんと向き合うことは避けて通れない業務の一つです。
そもそも脳卒中とは主に、
脳に栄養を届ける血管のどこかが「切れる」ことで狭い空間に血液が溢れ脳細胞を圧迫・破壊する脳出血と、
血管が「詰まる」ことでそこから先の脳細胞に栄養が途絶え壊死させる脳梗塞
とに分けられます。
死んだ脳細胞が手の動きを支配していたのであれば手の麻痺、
言葉をつくる領域なら言語障害
など実に様々な問題を引き起こします。
最もよく知られる症状は片麻痺(片側の手足が麻痺した状態)ですが、
現代医学では脳細胞を再生させることは不可能で、
教科書的に言うと生じた問題が完治することはないためリハビリテーションの目的は何かというと「出来ることを増やす」です。
この文言の解釈がセラピストの力量やセンス・信念によって様々で、チーム医療を展開する上で最も組織の統制が問われる部分だと私は思っています。
私自身、病院のベッドで思うように動けない対象者を何度も目の当たりにして来ました。
彼らは一刻も早く元のようになりたい、歩きたい、仕事に戻りたい、日常に帰りたい・・・
と感じてはいますが、同時にいきなりそこへたどり着くことが非現実的な願いであることも分かっています。
そんな彼らに、最初のステップとしてどのようなショートゴールを提示し同じ方向を向いていけるか?
リハビリテーションとは、その小さな目標階段の積み重ねです。
そこで、
赤ん坊の発達を思い浮かべると目標の立て方が見えてきます。
生まれて間もない赤ちゃんを無理矢理立たせても身体を上手く支えることなど絶対に出来ないし、
むしろ「原始反射」という、身体を強張らせて逃げようとする反射活動が引き起こされますね。
その子が自分で立てるようになるまでには、ざっくり分けても
頸がすわる
→寝返る
→おすわり
→這う
→つかまり立つ
というプロセスを経なければなりません。
もっとも、
赤ちゃんは意識的にトレーニングして出来るようになったわけでなく、親や外部環境と接触することで自然に学んでいくものですが・・・
話を戻しますが、
人間が重力に抗して二本の脚で歩くまでには、このように様々な準備段階というものがあります。
極端な話、
支えながらやっとこさ座れる段階の対象者にどれだけセラピストが頑張って「歩行訓練」を提供しても適切な力の使い方が学習されることはありません。
なぜなら「脚よりも面積の広いお尻で体重を支えることが出来ていない」からです。
また、
「出来た」「出来ない」が判断基準になると、
「ベッド柵を引っ張れば寝返りができるけど柵がないと何も出来ない」
という患者さんあるあるもよく生じます。
こういった例では、
「体幹」を使うことなく腕の力で出来たように見せるために、根本的な問題解決にはなっていません。
ですが、
今の医療は厳しく殆どの病院で「出来るのならなぜさっさと歩かせないんだ」と上から圧力がかかります。
よっぽど自分を持ったセラピストでない限り、
患者さんのペースに合わせるという最も重要な部分がおろそかになりがちです。
そもそも、
脳卒中を発症した=大なり小なり循環器系のリスクがある
という大前提があります。
「血圧はコントロールしたからしっかり動かせ」
と言われようが言われまいが、
我々はまず何を優先すべきかを明確にする必要がありますね。
次回に続きます。
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