身体造りは家造りと似ている?
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『こっちは痛くて挙がらんのよ』
→「挙げるまで帰れませんよ」
『もう勘弁してくれ』
→「もう一回歩いたら終わるから」
これが何かというと、
今の医療現場で治療と称して対象者に運動を強要しているセラピストと患者さんの会話です。(まぁ分かりますよね・・・)
このやりとりがあまりにも日常的に横行し過ぎて、
もはや私の感覚は麻痺しているのかもしれません。
しかしよく考えてみると、
される側からしたらとんでもない苦行です。
病院の規模が大きければ大きいほど、
利用者に対する白衣の権力というのは強くなるのでしょうか。
最終的には患者さんは折れ、苦痛に顔を歪ませながらセラピストのいいなりになります。
ただ、
「今日はこれだけしてくれました」という報告をすれば
看護師も家族も本人を褒めちぎるので、
疲労困憊ながらも悪い気はしない、
またがんばってもいいか
みたいな感じの毎日がスタンダートになる。
私よりも若手のセラピストはもちろん、
役職のあるベテランですら同等の作業をしている時点で、
その組織に発展性があるのか
どのようなミッションを持っているのか
が非常に疑わしくなります。
私が患者だったら、
「まず脚が挙がりやすい状態にして欲しい」
「楽に動ける方法を教えて欲しい」
と絶対に言うでしょう。
そして納得いかない作業には参加しません。
リハビリテーションにおける診療報酬(医療保険で国から支給される負担分)は、
この10数年で見る見る削られています。
私は、この原因に関して
セラピストが現場で結果を出せないためだ
と思っています。
もちろん、ある程度後遺症が残ってしまい
上手に付き合っていくことが求められる場合も
たくさんあります。
ただ、少なくとも目先の活動量にばかり気を取られて
病理を悪化させることだけは避けるべきです。
私はよく身体を家に例えて優先順位を説明します。
どちらの家に住みたいですか?
と聞かれて、
左と答える人はまずいないでしょう。
ただし、
雨風をしのぐ という目先の利益を求めれば左の方が早いです。
長期的な安定、安全、満足を考えたとき、
まず土台をつくるという作業が不可欠です。
その人の人生を考えて最良の結果を提供するために
屋根から造るか、土台から造るか
もしあなたが今現在何かしらの身体的トラブルを抱えていらっしゃれば、
この考え方を思い出していただけると
医療に対して受け身にならずに言いたいことを主張出来るきっかけになればと思います。
ふと、いつもの疑問を誰かに聴いてほしくなった休日の朝でした。