週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

私の原点

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

 

尾道御調で唯一の「疼痛治療専門家」のブログへようこそ!

 

 

新年度が始まりましたね。

そこそこ歳をとってくると、

あまりフレッシュ感はなく組織の人の入れ替わりを傍観するくらいでしょうか。

 

 

今日は、そんな自分にもペーペーの時代がありここに至るまでのストーリーなど、

気持ちを引き締めるため自分の原点に戻ってお話をさせていただきます。

 

 

そもそも私が作業療法士などという職業を選んだのは、

 

子どもの頃の外傷がきっかけで、

治療される側だったことに起因しています。

 

ただ、

だからといって特別崇高な目的意識の基にこの道に進んだ訳ではなく、

 

直に体験したという親近感と

なんか楽そう

 

という、むしろいい加減な動機でしかなかった訳です。

 

ちなみに、なぜ楽そうに感じたかというと

当時骨折して全く言うことを聞かない私の腕をゴリゴリとストレッチし、

息が止まる苦しみを何度となく味わった経験から、

子供ながらに「こんなもんでいいんだ」「誰でもできそうだ」

という感想があったからです。

 

 

さて、

そんなこんなで私はどうにかリハビリテーションを学べる大学を卒業し就職までこぎ着けた訳ですが・・・

 

全く患者が治せない!

 

 

思えば当時の私は、

外傷の患者さんにはストレッチ、

麻痺のある患者さんにはとにかく使わせる、日常生活動作を練習させる

 

程度の引き出ししかなく

「治らんのはこの人の運命だ」

なんてことを自分に言い聞かせ、

専門家というかただのサラリーマンでした。

 

それでもだんだん経験を積んで自分が教育する立場に立ったとき、

自分に使命感的なものが生まれ始め

「このままダラダラやってたら俺は人生を後悔する」

と、あちこちセミナーに通うようになりました。

 

 

主に脳科学をベースに治療を提供する団体に所属した私は、

ついにイタリア研修に参加するまでに至り、

認知神経リハビリテーション

と名乗ることを許可されました。

www.ctejapan.com

 

 

ただ、肩書きなどはどうでもよく、

自分が世の中に何を提供出来るのか

を考えたとき、

目の前の対象者がその場で価値を感じてくれる(=良くなったと実感できる)商品力

が自分にあるかどうか

 

その一点に集中して、再び基礎から学び直した1年でした。

 

そうして、今現在私は

疼痛専門セラピスト

と、自分で勝手に創った名称で自分の提供する価値を端的に表すことにしました。

 

 

痛みとは身体の不調であり、誰もが経験することです。

病院に訪れる方はもちろん、

地域の中にもたくさんの悩まれている方が多くいらっしゃることが分かりました。

 

中には、

もはや病院を信用していない方も少なからずいらっしゃいます。

 

そういった方に寄り添い適切なフィジカルアセスメントをしていく上では、

今の立場が非常に足枷になってきました。

 

 

より多くの方に価値を提供していくため自分の商品力を高め、

より多くの情報を発信していこうと準備を続けています。

 

今まで気にもしなかった、

自分の専門外のことも多く学ばせてもらっています。

自分の人生を楽しむために。

 

 

ここまで読んで頂き、本当にありがとうございました。

次回からはまた情報をお届けしますね。

http://salon-mizuki-rehabilitation.strikingly.com/