週末に本気を出す療法士

自分の目に映る「リハビリ難民」を西洋と東洋、双方向から診る療法士。セミナー寅丸塾を不定期で開催しながら、普段は家でも職場でも子どもに振り回さる会社員。

脳卒中のリハビリについて久し振りに向き合ってみた

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

 

先日から寅丸塾に新しい門下生が入り、何から指導していこうかと考えさせられる日々を過ごしております。

 

どこの町でも同じことが言えるでしょうが、いわゆる急性期病院で働くセラピストは日常的に脳血管障害(脳卒中)を抱えた患者と向き合っています。

 

新しく入門した彼も、そんな環境で働くセラピストの一人です。

 

今でこそ私は自由診療分野で価値を提供することにフォーカスしておりますが、

以前は彼と同じ立場で日々悩みながら臨床経験を積んでいました。

 

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大きな組織の優先事項は足並みを揃えること

 

地域の中核病院に相当する組織は、人員もそれなりに多くなります。

一般的な感覚で病院の価値感をイメージすると、

「人が多い=信頼できる」

「優秀な人材がそろっている」

「最新の機器で治療をしてくれる」

という、日本人が陥りやすい根拠のない安心感が生まれます。

 

 

もちろん口コミや「〇〇疾患に強い医者がいる」

という評判も重要だと思いますが、

こと「リハビリ」に関しては

「あそこの病院にはいい先生がいる」

というような話は聞いたことがありません。

 

何が言いたいかと言うと、

直接患者さんの身体に触れるセラピストの仕事は一般の方には価値が伝わりにくく、

「良いリハビリを受けられたかどうか」

は、主治医よりも担当したセラピストの技量や対応力次第

ということです。

 

したがって、

セラピストは日々自分の技術を磨き少しでも多くの価値を提供できるようになることが求められます。

 

 

しかし・・・

 

 

私がこれまで実際に見てきた病院業務では、

セラピスト個人が高いスキルを持つことは

他の者に再現出来ないような技術を使われると迷惑がかかる

という理由から否定的に考えられる傾向にあります。

 

 

「迷惑」とは誰に対してでしょうか?

 

セラピスト同士の力量に差が生じることは、そのまま患者さんへのサービスの質の差となり、

「あの先生はこうしてくれたのに」

という患者さんからの評価につながる訳です。

 

 

つまり、

スキルの水準を高い所に持っていくことよりも、低い水準に合わせないと患者さんに不公平でしょ?

といった、患者さんを守っているようで実は自分達が成長したくないだけ(もしくはリーダー役の人間の狭い価値感に支配されている)という思考が多くの組織で蔓延しています。

 

 

もちろん、

組織である以上ある程度足並みを揃える必要性があることは過去10年以上の経験から十分に理解しております。

 

しかし、職人であれば経験値によって力量が異なるのが当然です。

方向性やルールは共有しつつも、

あの先生もいいけどこの先生は少し違った見方で診てくれて面白い

と感じてもらえる環境を作る責任が我々にはあります。

 

 

そのような環境づくりができないのは、

診療報酬という制度に我々が胡座をかいてきたからに他ならないのですが。

 

 

パラダイムをシフトする

 

話が大幅に脱線しそうなので、とりあえず本題に戻ります。(診療報酬についてはまた記事にしてみます)

 

結果を出せるようになりたいという彼も、

組織の方向性に不満を抱きながらも自分自身に実力がないせいで何も変えることができない

そんな自分に最も不満を抱いているように私には映りました。

 

 

色々と話を聴いてみて、まずは基礎知識をつけることから・・・

と講義をしてみたところ、色々と気づきや学びが得られたようでとても満足してくれたようです。

 

 

そして、日常業務に生かす上で疑問はあるか?

と尋ねてみたところ、

自分の病院では脳卒中患者さんの訓練はとにかく立たせること、歩かせることが当り前になっているが、他にどんな課題があるか?

という質問をいただきました。

 

 

脳卒中といっても診断名も障害の程度も様々ですので個別性を重視するのは当然ですが、

ここでは典型的な片麻痺の患者さんを例に挙げてみます。

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病院で遭遇する多くの脳卒中患者さんは、このように片側の手足が上手く使えません。

 

そこで、

上手く使えるようになるためには手足を動かす練習をする

 

つまり、

・手なら物を掴む練習

・足なら歩く練習

を繰り返すというのが、我々が学校で習った訓練の方向性です。

 

 

 

???

 

 

 

その程度なの?

 

 

 

わざわざ学校行ってお金払ってまで教わった内容が

「誰でも思いつくレベルの訓練」

なら、

「セラピストなんて誰がやっても一緒じゃねーか」

という声が聞こえてきそうです。

 

 

実際に脳卒中の後遺症に悩んでいる方は多いですし、直接関わったことがある方ならイメージが出来ると思いますが、

 

片手片足が使えなくても自分ならもうちょっと上手に動く自信がある

 

と、自分も思ったことがあります。

 

 

しかし、

現実にはものすごく下手で身体の柔らかさが殆どなく、介護がないと生活できない人が大多数です。

 

 

これは、

手足の動き以前に体幹の機能が破綻し自分の身体を支えること自体が困難になっているため、身体を昆虫のように固めることでどうにか安定させる

という、動物としての防衛本能が働いた結果であると私は理解しています。

 

 

つまり、

目に見える手足の障害よりも患者自身の軸をつくる

ことに優先順位をおく勇気がセラピストには必要です。

 

 

これは私たちが赤ちゃんの頃、どういう順番で動きを獲得してきたかを考えると分かりやすいと思います。

 

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乳児はまず重力に逆らって頚を起こすことから学び、

腕を動かしやすい姿勢が作れてから玩具を扱います。

徐々に重心(骨盤)を高い位置に持っていき、1年経ってようやく立ちあがり歩き始める訳です。

 

この順番をすっ飛ばしていきなり歩かそうとすると、

原始的な反射(全身に力が入る・背中を反らせて嫌がる、など)が起こります。

それを繰り返すと、身体を固めて何とか立位に対応しようとしますが全身に力が入った状態は抜けず、結果的に身体の自由度が非常に制限されることになります。

 

 

したがって、

目の前の患者さんの動けるレベルに合わせた課題を緻密に計算していくことがセラピストの最重要課題である

ということです。

 

 

この考え方があるのとないのでは、結果に天と地ほどの差が生まれることがお分かりになるでしょうか。(重度の障害を抱えた方に対しては出来ることも限られてきますが・・・)

 

具体的な話に戻すと、

訓練室に連れてきて無理矢理歩かせるよりも、

自分のベッドの上で自力で起き上がるための身体の使い方をゆっくり学んでもらう方が100倍価値があります(あくまでも経験上)

 

ただし、

患者本人は「歩かせてもらえた」という経験をポジティブに捉える傾向があることも事実です。

ですので、訓練のモチベーションを高めるために現状把握という意味で歩いてもらうことには異論ありません。

 

肝心なのはセラピストが今何を優先して目の前の患者と向き合うか。

 

 

 

そのような話を、

久し振りにアウトプットすることで自分も再学習させていただきました。

 

病院で働くセラピスト一人一人が、しっかりと自分の現状と目標を把握出来るようになればリハビリテーションの質も高まってくるのでしょうが・・・

 

尾道・三原・福山圏内で、一緒に学んでみたいという方がおられましたら、お気軽にコメントください。

 

今日もここまでお読みいただきありがとうございました。