尾道の疼痛専門セラピスト のブログ

「痛み」の専門家で病院勤務を経て起業した作業療法士のてっつぁんです。徒手医学とリハビリテーションについてのマーケティングをしています。

失語症の方には言葉を使う訓練が全てだと思っているセラピストへ

今日もアクセスいただき、本当にありがとうございます。

尾道で唯一の疼痛治療専門家のブログへようこそ!

 

 

つい先日、修行帰りに久しぶりに駅ナカのメンズファッションのお店に入りました。

 

ウィンドウショッピングは昔から好きで、店員さんと波長が合うと長話になったりするのも楽しみの1つなんですが…

 

 

 

どんなに華やかな仕事をしている方でも、私生活ではいつかは家族の医療介護問題に直面します。

今日はそんな内容でお送りします。

 

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「知り合いの家族が失語症のリハビリのために病院に通っている」

という文言を聞くと、

言葉を話す練習を一生懸命しているというイメージが強いし、実際その通りのようです。失語症とは、脳梗塞などで大脳皮質の言語領域を損傷することで生じる、話す/理解する機能の障害を総称した病態です)

 

 

殆どの病院ではリハビリテーションは役割分担のようなシステムになっており、

ざっくり分けると

理学療法士=身体のリハビリ

作業療法士=生活能力のリハビリ

言語聴覚士=言葉と飲み込みのリハビリ

 です。

 

 

 例えば、

このケースのように退院出来るくらい身体や生活能力が改善すれば自然と

「後は言葉の訓練だけ」

「身体の訓練は終了です」

となります。

 

 

なので、

「思うように言葉が出ない」という問題を解決するために言語聴覚士による言葉の訓練を続けていくのが医療者も対象者も当然だと感じるわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

ちょっと待て。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉を話すという行為は、

言い換えると喉の筋肉を用いて声帯を振動させ多様な音声を出力する随意運動です。

 

 

 

失語症に限らず言語表出にトラブルを抱える患者さんは、自分の意思を他者に伝えることが不得手なのですが、

何とか伝えようとして体中を緊張させてしまうことが非常に多いのも特徴です。

 

なかなか出てこない言葉を頑張って出そうとする過程で、

首や肩を緊張させて首筋が浮き上がったり、やたらと肩がすくんでいる対象者を良く見かけます。

 

そのような状態が慢性化すると、

気道や肺という換気に関わる組織を圧迫し血液循環そのものが停滞

その結果発声に必要な筋肉も栄養不足になります。

 

 

つまり、

話す練習をする以前に頸部や胸郭(肋骨に覆われている体幹の上部)の柔らかさ、位置のズレ、筋肉の緊張度合いなど

フィジカルアセスメントが必要な要素がたくさんあります。

 

 

経験上、

言語表出に何かしら問題のある方の呼吸は浅く早い傾向にあり、

少し動いたりしゃべったりするだけで「肩で息をしている」ような特徴があります。

 

 

これに対して、

「リラックスして!」

「肩の力を抜いて!」

と表面的なアドバイスなすることは簡単ですが対象者はそれが出来ない訳ですね。

 

 

もしあなたがセラピストであれば、

呼吸補助筋の努力量を抑制する技術が必要かも知れません。

 

 

例えば、

首筋の筋肉の代表格とも言える胸鎖乳突筋が常に浮き上がっているような場合、

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いつも首が張って疲れやすいでしょうし、首の動き自体もかなり制限があります。

 

 

 そこで、

胸鎖乳突筋のてっぺんの辺り(耳の後ろの頭蓋骨との境目)を軽く圧迫して再び首の動きをしていただきます。

 

すると、

「動きが増えた」と感じることがよくありますので、その刺激がそのまま胸鎖乳突筋の緊張を抑える手段として利用できます。

 

 

 

セラピストの仕事は患者さんの利益につながる戦略を選択することですが、

目先の現象にのみとらわれず、別の側面から問題を眺めるという思慮が出来ているでしょうか。

 

 

なお、失語症の訓練について言及している記事はコチラです。

興味がありましたらどうぞ。

ameblo.jp

 

今日は、痛みというよりも純粋な医学的リハビリテーションについて言及させていただきましたがいかがでしょうか。

 

 

リハビリテーションとは自然科学だと、以前教わったことがあります。

 

 

自然界に起こる現象に対して、その本質を推論し仮説を立て検証する。

そのような作業の連続が病理から脱却する戦略になり得るのだ

という考え方。

 

難しい表現になってしまいましたが、常に私が臨床において考えていることです。

 

 

今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

 

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