痛みと動きにくさについて解釈する
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尾道で唯一の疼痛治療専門家 のブログへようこそ!
自分の発信するものが誰かの役に立っている
と感じられる時は続けてよかったなと思いますが、
それと同時に知識を整理することでまだ自分に足りないものがたくさんあることを感じます。
なので、
毎回状態の違う患者さんから何かを学ぶ
ということを常に意識しているわけですが、
病院という組織で動いていると、しょっちゅうこんな場面に遭遇します。
「〇〇さんは早くトイレ歩行の練習をさせてください」
「この人不穏で危ないから車いすにくくりつけてます」
看護師達の意見もよく分かるのですが、
このように考えてみるといかがでしょうか?
頸がすわって間もない赤ちゃんに立たせる、歩かせるという作業をさせると
原始反射を誘発し身体を突っ張らせたり反り返ったりします。
つまり、
動くための支持面が十分に確保出来ていないうちにハイレベルな動作を要求すると
人間は身体を固めてとにかく安定を確保しようとするわけです。
自力で起き上がれない方に「訓練だから」と両手で棒にしがみつかせて歩かせるという行為は、
我々健常者に「体操の内村選手並の大車輪をやってみろ」
と要求しているようなものかもしれません。
したがって、
「目標そのものを見直す」ことはもちろん
「対象者が今何を求めているのか」を引き出す努力がこちらに必要です。
経験上、
寝返り一つままならない患者さんには
ほぼ間違いなく「痛み」がつきまとっています。
なぜなら、
寝返りをするための身体の捻れを生み出す柔軟性が破綻し、
「何かを引っ張る」という代償的な戦略を用いることでさらに緊張を高める(=固める)ことが習慣化し、動く度に衝撃が身体に蓄積しているからです。(↓こちらもご参照ください)
このような方には、
「身体が柔らかくなった」という感覚を作ることで
効率的な動きが引き出される
という戦略が有効なことが多いです。
90代の戦争時代を生き抜いてきた癌で入院中のおじいちゃんは、
肩も腰も膝もバッキバキで「どこ押さえても痛い」状態です。
「あと何年生きられるか」という方に対して最も避けるべきは寿命を縮めるようなトレーニングです。
本人の希望を聴けば「歩けるようになりたい」
ですが、それよりも
「痛いのを何とかして欲しい」と、至極当然な意思表示をされます。
ただ、
痛みを感じる部位が多すぎて、問題が↓以前のように単純な筋膜の問題だけに留まりません。
そこで、
身体の中心に位置する横隔膜の活動に目を向けます。
横隔膜は呼吸の中枢的な役割で、
これが硬くなると全身の換気効率が低下し、循環が停滞し筋肉が軽い酸欠状態になります。
案の定、
みぞおちの辺りを触れると指が沈まないくらいの硬さが確認されます。
そこで、
まずは身体の中軸である横隔膜の硬さを取り除くことで
身体を一度ニュートラルな状態に戻す
という作業を選択するのです。
すると、
「脚が伸びるようになった」
「なんか軽くなったような」
と、おじいちゃんの身体に変化が生じます。
もちろん痛みはあるのですが、その程度が下がってくる
ということに確かな手応えを感じます。
2-3日続けていると、
最初は手を伸ばして「起こしてくれ」と他者に依存していたおじいちゃんが
自分で向きを変えて肘をついて起き上がる
という動きが出来るようになったわけです。
なお、
横隔膜はコア・スタビリティという身体の安定性に密接に関わる要素で、
我々が静的・動的に姿勢を保つ上で柔軟かつ強固に働くスタビライザー
として不可欠な存在です。
これを無視して立つ・歩く
という行為ありきのトレーニングをすると・・・
もはや言うまでもないので省略します。
最適な支持面が出来たことで次の段階へ移る
という戦略は、
赤ちゃんも無意識的にやっていることです。
セラピストは、
そのような身体の原理原則に基づいたガイドをしていく専門性が求められるということですね。
寝たきりにならないように、と
「離床(ベッドから離れる)」を推進する事は重要ですが、
その方にとってのデメリットを考慮しているか?
ということも付け加えておきます。
痛みの強い方に対して、
それを適切に解釈して最適なエクササイズを提供できるか。
痛みに悩まれている対象者の方やセラピストにとって、
少しでもヒントになれば幸いです。