「〇〇が出来る」とは「問題がない」という意味ではない
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寒くなりましたね。
この時期、病院では脳血管疾患、いわゆる脳卒中患者が急増してきます。
今日はそんなお話です。
どんな肩書きを持っていようとも、
療法士にとって脳卒中患者さんと向き合うことは避けて通れない業務の一つです。
そもそも脳卒中とは主に、
脳に栄養を届ける血管のどこかが「切れる」ことで狭い空間に血液が溢れ脳細胞を圧迫・破壊する脳出血と、
血管が「詰まる」ことでそこから先の脳細胞に栄養が途絶え壊死させる脳梗塞
とに分けられます。
死んだ脳細胞が手の動きを支配していたのであれば手の麻痺、
言葉をつくる領域なら言語障害
など実に様々な問題を引き起こします。
最もよく知られる症状は片麻痺(片側の手足が麻痺した状態)ですが、
現代医学では脳細胞を再生させることは不可能で、
教科書的に言うと生じた問題が完治することはないためリハビリテーションの目的は何かというと「出来ることを増やす」です。
この文言の解釈がセラピストの力量やセンス・信念によって様々で、チーム医療を展開する上で最も組織の統制が問われる部分だと私は思っています。
私自身、病院のベッドで思うように動けない対象者を何度も目の当たりにして来ました。
彼らは一刻も早く元のようになりたい、歩きたい、仕事に戻りたい、日常に帰りたい・・・
と感じてはいますが、同時にいきなりそこへたどり着くことが非現実的な願いであることも分かっています。
そんな彼らに、最初のステップとしてどのようなショートゴールを提示し同じ方向を向いていけるか?
リハビリテーションとは、その小さな目標階段の積み重ねです。
そこで、
赤ん坊の発達を思い浮かべると目標の立て方が見えてきます。
生まれて間もない赤ちゃんを無理矢理立たせても身体を上手く支えることなど絶対に出来ないし、
むしろ「原始反射」という、身体を強張らせて逃げようとする反射活動が引き起こされますね。
その子が自分で立てるようになるまでには、ざっくり分けても
頸がすわる
→寝返る
→おすわり
→這う
→つかまり立つ
というプロセスを経なければなりません。
もっとも、
赤ちゃんは意識的にトレーニングして出来るようになったわけでなく、親や外部環境と接触することで自然に学んでいくものですが・・・
話を戻しますが、
人間が重力に抗して二本の脚で歩くまでには、このように様々な準備段階というものがあります。
極端な話、
支えながらやっとこさ座れる段階の対象者にどれだけセラピストが頑張って「歩行訓練」を提供しても適切な力の使い方が学習されることはありません。
なぜなら「脚よりも面積の広いお尻で体重を支えることが出来ていない」からです。
また、
「出来た」「出来ない」が判断基準になると、
「ベッド柵を引っ張れば寝返りができるけど柵がないと何も出来ない」
という患者さんあるあるもよく生じます。
こういった例では、
「体幹」を使うことなく腕の力で出来たように見せるために、根本的な問題解決にはなっていません。
ですが、
今の医療は厳しく殆どの病院で「出来るのならなぜさっさと歩かせないんだ」と上から圧力がかかります。
よっぽど自分を持ったセラピストでない限り、
患者さんのペースに合わせるという最も重要な部分がおろそかになりがちです。
そもそも、
脳卒中を発症した=大なり小なり循環器系のリスクがある
という大前提があります。
「血圧はコントロールしたからしっかり動かせ」
と言われようが言われまいが、
我々はまず何を優先すべきかを明確にする必要がありますね。
次回に続きます。
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お医者さんの「しっかり運動しなさい」を真に受けてしまうあなたへ
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このブログは、
元々病院で勤務していたリハビリのプロが起業したことで、遠慮なく病院の理不尽な体質や専門家まがいの連中が不思議な指導をしている様子を皮肉りつつ価値ある情報・正しい知識を皆様にお伝えする
そのようなコンセプトでお送りしています。
私のお客さまの大半が何かしら医療機関への不満を持たれており、それをお聴きする機会が圧倒的に増えたためにお客さまの声を代弁する部分もちょくちょく出てきます。
私も医療機関で長年やってきた人間ですので、病院の重要性は嫌というほど分かっていますが、
ことリハビリテーションにおいては周囲からは未だにブラックボックス的な意識が強く、
頑張るもの・しんどいもの
というイメージが医療者側にも存在します。
日本の制度上、
ドクターの指示の下にコメディカルが従う
という確かなヒエラルキーが存在するため
「痛みは薬で抑えるからしっかり運動させなさい」
という処方も日常的に飛び交います。
服薬によって痛みが消失していればそれもありかも知れませんが、
実際には多少マシな程度か感覚が麻痺してしまっている、しんどい
など、副作用や違和感を抱えたまま対象者は「なぜこんなしんどい思いをしてまで頑張らなきゃいけないの?」
的な思考に陥りがちです。
そこで、
我々現場で対象者に触れるセラピストには選択肢があります。
1.ドクターの言われた通りにトレーニングをさせる
2.リハビリテーションの目的を明確にした上で優先事項を優先する
どちらを選ぶかは自由ですが・・・
スポーツ障害でもない限り、ほぼ全ての対象者の目的は「楽に動けること」です。
「楽に動けない」対象者の抱える問題をざっと挙げると、
・姿勢が崩れている
・呼吸が浅い
・身体全体が強張っている
・内部器官の恒常性が崩れている
・血行障害
・筋断裂
・ホルモンバランスの破綻
etc・・・
など、挙げればキリがないのですが、
これらは関連性のない別々の問題などでは決してなく、重症な人になるほど複合的なトラブルを抱える傾向にあります。
例えば、
「立っているだけでもしんどくなる」
と仰る方の抱えやすい問題について考えてみると、
慢性的な姿勢不良に伴い呼吸筋の活動が抑制され上半身が重力に負けてしまう。
すると、
腹腔内の臓器が骨盤に挟まれ圧迫された結果、消化吸収や解毒排泄などの機能が抑圧され循環不全に陥り
「常に身体が重たい」
「腰が痛い」
「すぐに体調を崩す」
などのトラブルを引き起こします。
これらの問題を解決するには姿勢に関わる要素を改善させる操作を加える必要があります。
つまり、
「〇m歩けば良くなる」
「鍛えれば元気になる」
という考え方とは根本的に異なるものです。
なお、
ウォーキングやセルフエクササイズで改善する人ももちろんいますが、あくまでも軽症の方です。
一定水準以上の不調に対してはプロフェッショナルによる鑑別と治療が必要です。
お医者さんは診断と薬の専門家ですが、運動の専門家ではない。
我々は素人の意見に左右されることなく、プロとして自分の目で対象者の問題に向き合う努力が必要です。
「しっかり動く」前に「動けるコンディションに引き上げる」という作業の重要性。
一流のスポーツ選手は1日も欠かさず自分のパフォーマンスを磨いています。
セラピストにもそのようなマインドが定着していくと、もっと顧客の利益につながるでしょうね。
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リハビリを受ける人全てに目的がある訳じゃない。
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お久しぶりです。
いつの間にかお客さまから心配されるほど疲労が顔に出ていたようで、休める時にちゃんと休まないと・・・
な今日この頃です。
ま、それはともかく・・・
今日は私の非常勤先である、老人保健施設での一コマを記事にします。
いわゆる「デイサービス」と呼ばれる、
介護保険で要介護・要支援認定を受けた高齢者が集まり、日中の活動や他者と交流するサービスを提供するこの施設では、
デイサービスの時間内で利用者の方に個別に「リハビリ」を実施する時間も設けられています。
対象者は要介護認定を受けている方ばかりですから当然何かしら身体に問題を抱えており、
脳卒中や外傷に限らず、「歳のせい」からくる腰痛・膝痛・肩こり・・・
それはもう多彩です。
そして、
明確な目的を持ってリハビリテーションに参加する方もいれば、そうでない方も少なくない訳です。
なぜリハビリにあまり積極的でない方が多いのか?
それについてこの数ヶ月で感じたこと。
・利用者の多くは数(十)年来痛みや不調を抱えたまま過ごしている
・いい意味でも悪い意味でもルーチンワークが慢性化し、メニューをこなすだけになっている
・利用者自身が変化を感じないため、参加する価値も感じられないでいる
最初はどうにかしたいと思っていても、やがて「やっぱりどうにもならない」と落胆し考えることをやめてしまう
⇒筋トレはしんどいがとりあえず揉んでもらったら痛みが少し和らぐ
⇒「ここを揉んで下さい」
などと受動的な目的にすり替わっていく
のが現状のようです。
つまり我々に対する利用者の認識は「揉み医者」「マッサージ屋」と遜色ない。
・・・大変マズい状況です。
ある利用者のリハビリを依頼されたとき、
その方は「指が曲がったまま伸ばせない」という慢性的な問題を抱えていました。
しかし、その方は
「もうさんざん使ってきたからしょうがない、あと何年も生きちゃおらんし諦めた」
と、発言を聞く限り問題解決への意欲がない状態でした。
私がここで仕事をするずっと以前から通われている方ですが、「揉んでもらったら脚が少し楽になるからそのくらいはお願いします」
という意識が定着していました。
もちろん「楽になる」という感覚はとても重要なのですが、何かが違う。
そこで質問をしてみます。
私「やっぱり指が動いてくれた方がうれしいですよね?」
⇒「そりゃうれしいけど、もう長いことこのままでどうにもならんのよ。病院に連れてってくれる言うけど、病院は行きたくない。もう諦めます」
私「では、もうこの手には一切触れないようにして脚だけ診てみますね」
⇒「先生、そう言わんと何とかして下さい!」
・・・ちょっと意地悪な問答になってしまったかもしれませんが、そのおかげで本人の最も深いニーズを拾い上げることができました。
指が伸びないという現象は、
言い換えると指を伸ばす筋肉の働きがバカになっている
ということ。
指を伸ばす筋肉=総指伸筋は肘から指先までの長いひと繋がりの筋肉ですので、
指の運動に症状があったとしても肘から指までのどこにトラブルがあるのかを鑑別する必要があります。
経験上、筋肉の出発点や最も筋肉が太い部分に滑りにくさや緊張が生じやすいという特徴があります。
すなわち、指の伸ばしにくさを解決するために肘の周囲の滑りをよくする
という作業を評価の下に選択します。
1分後、
もう一度指を動かしていただくと
「先生、指が伸びるようになりました!」
と数年間伸びなかった指が広がっています。
この変化をきっかけに、「また次も来ますからお願いします!」と別人のように活き活きと帰って行かれました。
このエピソードから、
慢性化した問題であっても我々は常にロジカルな思考の下、主観的なレベルで結果を出していくことが求められるのです。
それによって対象者は目的をはっきりと持ち、漫然と与えられた物を受け取るだけでなく能動的に行動し自分から環境に関わろうとする。
全ての対象者に思い通りの成果をもたらすことは実際には困難かもしれませんが、
少なくとも訴えに対して柔軟に思考できる引き出しを備えておかねばならないということですね。
極端な話、
ある程度自然回復する急性期と違って症状の固定された慢性期ではコチラの技量が全てです。
そのような空間で、もう暫く自分の刃を研ぐことに集中していきます。
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痛みとは感覚が正しく入ってこない状態を指す。え、当たり前だって?
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もう10月も終わりですね。
この数ヶ月は目の前の課題をこなすことに精一杯で、休日くらいは子どもの相手をしっかりしてあげたいと思いつつも自分の体力がかなりすり減っているのが分かります。
夜になってようやくPCに向かっているところですが・・・
何度か触れてきましたが、
私は臨床家として脳に関する研究をしていた期間が長く、
顧客の問題解決=運動学習
という視点で治療に当たることが自分の中での絶対的なルールとして存在します。
痛みのある患者さんの問題を評価するとき、
ある特定の行為は複数の構成要素に分けられ、身体の各部位は行為において重要な機能単位に細分化されます。
具体的に言うと、
「洗濯物を干すときに物干し竿に手を伸ばす」という行為に対して、
・自分の姿勢を維持するために腹圧が上昇する
・胸を張って身体を伸展させる
・足下がグッと踏ん張る
・肩が持ち上がって物干し竿へと腕を方向付ける
・物干し竿との距離を調整する
・正確に目的を達するための末端での微調整
というざっくりとした構成要素が存在します。
このときの身体各部の役割を明確にすると、
・体幹および下肢・・・姿勢制御
・肩甲骨・・・上肢の土台
・肩・・・方向付け
・肘・・・距離の調整
・手首・・・指の向き
・手指・・・物の持ち方
と、機能単位としてどの要素が欠けても行為が成立しなくなることが分かります。
したがって、
「肩が痛い」と仰る顧客に対して単純に「肩」の問題と見なすのではなく、
一連の行為において特異的病理(上手く制御できていない)のある部位や要素はどこなのか?
という視点を持つことが、問題を鑑別する上で極めて重要である
と考えています。
今日はずいぶん専門的な話になってしまってますね。
例えば、
腕を挙げる時に「肘を曲げてないと上がらない」という対象者はかなり多いです。
痛みの生じる部位は肩であっても肘を曲げる筋肉が硬くなりすぎて重たくなっていることがそもそもの原因である
ということが頻繁にあります。
また、
猫背で胸郭(肋骨周囲)の可動性が狭い方の肩甲骨はガッチガチに固まっており腕の土台として機能していない
なんてこともしょっちゅうです。
こういった問題を抱えている状態では、
腕を上げる=とにかく力を入れること
となっておりまともな感覚などとても入ってきません。
ここで言うまともな感覚とは、
「軽い感じ」
「腕が伸びる感覚」
「指が遠くに感じる」
「呼吸が楽」
etc・・・
こういった感覚が慢性的に欠落してしまう訳ですね。
したがって、
治療の目的は「これらの感覚が感じられるようになること」だと信じてます。
この目的に沿う戦略を取捨選択していくのがセラピストの仕事です。
やはり筋トレではどうにもならなさそうですよね。
次回に続きます。
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漫然と膝にヒアルロン酸を打ち続ける方が実はかなり多いことに気付いた。
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最近、
仕事に追われてブログを後回しにしている感が半端ないですが・・・
病院で作業療法士として動いているとき、
膝や股関節の問題を抱えている患者さんのリハビリテーションは理学療法士がやるものである
というよく分からない基準がありました。
おそらく、
理学療法士は脚のリハビリ
作業療法士は手のリハビリ
という価値判断が療法士側にもあるためです。
そして、最近よく耳にするのは
「半月に一回は膝にヒアルロン酸注射を打ってもらいに病院に通っている」
というお客さんの声。
そもそも、
膝に痛みを抱えている方の多くは長年の肉体労働や、それに伴う加齢性変化によって関節の構造自体が変性していることが殆どですね。
患者さん本人は、
「出来るだけ手術はしたくない」
という思いをお医者さんに伝えるため、
「では関節内に注射をしましょう」
と言う流れができやすいものです。
確かに、
ヒアルロン酸は関節の潤滑油やクッションの役割をしており加齢と共に減少して・・・
云々とググればすぐに情報が入ってくる時代です。
以前から使われている治療手段ですからそれで「膝の痛みが治った」人もいるのでしょう。
しかし、
ウチに相談に来られるお客様は
「注射の後はしばらく痛くて動かれんし、2,3日は痛いまま。それを1年くらい続けてます」
「立つ時は相当気合いを入れんといけんし、買い物に行ったらまず座れるところを探す」
というなかなかの強敵揃いです。
この慢性化した問題に対して、
もはや注射でどうにかなる可能性は極めて低いことが分かります。
膝という構造は、
人間が立って活動する限り常に体重と床からの衝撃に挟まれる「中間関節」です。
自分の体重を支えながら移動する
という基本動作は骨盤・股関節・膝・足首・足趾まで全ての協調的な動員によるものであり、
そのうち最も可動性が求められるのは確かに「膝」であるけれども「膝が痛い」という慢性的な症状を抱える人で膝以外は正常だ
などという人を見たことがありません。
特に、
膝から下が硬くなり「脛がパンパンに腫れている」場合が多くあります。
そのような方のふくらはぎ(=下腿三頭筋)を触れると柔軟性が失われ足首の可動域も非常に狭い
ことが分かります。
つまり、
地面からの衝撃を逃がす緩衝装置としての機能が破綻し足元で殺し切れないエネルギーが上へと伝わっていくことで、体重支持以上の負荷が慢性化し膝へのダメージが蓄積する
と仮説を立てることができます。
治療すべきターゲットが「膝」ではなく「ふくらはぎ」だとすると、
筋筋膜性の連結を考慮した運動療法の必要性が出現してきます。
ここでいう運動療法の目的は「足部の緩衝作用を再構築して膝への荷重ストレスを軽減すること」であり、筋トレをするという意味ではありません。
これらをご本人に伝えた上でエクササイズを実施してみます・・・
最初の評価・治療で「立って靴が履けるようになった」
次の治療で「脚が抱えられるようになった」
さらに続けていくと「自然に立てるようになった」「椅子を探さんでもよくなった」「ロボットのような動きでなくなった」・・・
という学習効果が定着してきました。
なお、ヒアルロン酸は早急にご本人の意思で終了したそうです。
まだこれからも改善していく要素は少なからずありますが、
10年後の自分の生活の質に危機感を抱き現状を変えたいと強く思われた方が、こうして適切な運動療法を選択されたことに私としても嬉しく思います。
現代医学は様々な治療法が確立しつつありますが、
我々の仕事においてはフィジカルアセスメントが最も重要です。
(このブログの読者であるあなたはもうご存じかも知れませんが今一度強調しておきます。)
仕事をする場所が変わっても私には国家資格を持った療法士としてのプライドや「常に考えること」は決して忘れないようにしています。
もし身近に、
ただのルーチンワークとして病院に通い痛みに悩んでおられる方がおられましたらお気軽にご相談いただければと思います。
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自分が「何屋」か5秒で言い表せないセラピストの皆さんへ
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最近は仕事が増えてきたことで、ゆっくり記事を書く時間がなくなってきました。
そもそも、
いつも1つの記事を書くのにかなり時間を費やしてしまい、更新の頻度が非常に遅いのですか・・・
それはさておき、
自分の保有している国家資格に関して、以前から感じていたことをとりとめなく記事にしていきます。
私が起業することを決めたずっと前、それこそ独身の頃から時々考えていたのは、
自分は何屋なのか、ということ。
私の保有資格である「作業療法士」の定義は、私が大学を出た時点ではこうでした。
身体又は精神に障害のあるものに対して、
主としてその応用的動作能力・社会的適応能力の回復を図るため、手芸・工作・その他の作業を行わせることを生業としている者
・・・ちょっと待てよ。
あれだけ必死に解剖学や運動学を勉強した結果、手芸・工作をさせるのが我々の仕事?
と、この文面を見る度にツッコミを心の中で入れていました。
その後、
さすがにこれはマズいと感じた偉い人達がこの定義にてこ入れして、
身体または精神に障害のある者、またはそれが予測されるものに対して
その主体的な活動の獲得をはかるため、諸機能の回復・維持および開発を促す作業活動を用いて行う治療・指導・援助を行う者
となりました。
もっとも、この堅苦しい表現を平たく言うと、
「何かしら問題がありそうな人には何かしら作業をさせて元気になってもらおう」
てな具合です。
乱暴な言い方になりますが、この考え方がベースにあるため
機能の回復とは出来ることを増やすことだ
的な思考に陥りがちです。
例えば、
あなたがセラピストならこんなやりとりをしていませんか?
患者さん「腰が痛いです」
→セラピスト「腰が痛いのはお医者さんに診てもらって下さい」「今日はこれくらいの運動にしておきましょう」
→ドクター「こりゃ歳ですね」「リハビリをしっかりやって筋力つけんさい」
→セラピスト「力をつけろと言われたんですね。じゃあ頑張りましょう」
この流れで主観的な問題の解決になると思う人はおそらくほとんどいないでしょう。
昔、自分に大した引き出しがなかった頃
「作業療法士さんって何する人なの?」
と患者さんに聞かれて、上に書いたような教科書的な答えしか説明出来ずに悔しかった時代があります。
ていうか最近でも、
と聞かれて、
「理学療法士は基本的な動きを教える人、作業療法士は日常生活の動作を教える人」
と説明しているのが耳に入ってきます。
基本的な動き?日常生活の動作?・・・
一般の人には分かりにくい表現です。
私はビジネスとしてリハビリを提供するマインドを持つようになってから、
ここまで挙げた例は全て「手段」に焦点を当てており、その結果対象者がどうなるのかという「目的」が不鮮明なままである
と気付きました。
それを踏まえて、今の私の答えはこうです。
「対象者が幸せに暮らせるようになる専門家」
ここで言う対象者とは、
慢性的な痛みやしびれ、動きにくさを抱えたリハビリ難民を指します。
ただ、それらに対して適切なサービスを提供するためには絶対的な実力と経験が必要だと強く感じて準備をしてきました。
数年間の修行を経て知識は相当ついたと思っていても、
まだまだ地域の皆様のお悩みに応えるには経験不足だなと感じながら、日々仕事に取り組んでいます。
あなたがセラピストなら、自分は何屋だと表現しますか?
もし同じ意見の方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度ご連絡下さい。
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失語症の方には言葉を使う訓練が全てだと思っているセラピストへ
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つい先日、修行帰りに久しぶりに駅ナカのメンズファッションのお店に入りました。
ウィンドウショッピングは昔から好きで、店員さんと波長が合うと長話になったりするのも楽しみの1つなんですが…
どんなに華やかな仕事をしている方でも、私生活ではいつかは家族の医療介護問題に直面します。
今日はそんな内容でお送りします。
「知り合いの家族が失語症のリハビリのために病院に通っている」
という文言を聞くと、
言葉を話す練習を一生懸命しているというイメージが強いし、実際その通りのようです。(失語症とは、脳梗塞などで大脳皮質の言語領域を損傷することで生じる、話す/理解する機能の障害を総称した病態です)
殆どの病院ではリハビリテーションは役割分担のようなシステムになっており、
ざっくり分けると
・理学療法士=身体のリハビリ
・作業療法士=生活能力のリハビリ
・言語聴覚士=言葉と飲み込みのリハビリ
です。
例えば、
このケースのように退院出来るくらい身体や生活能力が改善すれば自然と
「後は言葉の訓練だけ」
「身体の訓練は終了です」
となります。
なので、
「思うように言葉が出ない」という問題を解決するために言語聴覚士による言葉の訓練を続けていくのが医療者も対象者も当然だと感じるわけですね。
ちょっと待て。
言葉を話すという行為は、
言い換えると喉の筋肉を用いて声帯を振動させ多様な音声を出力する随意運動です。
失語症に限らず言語表出にトラブルを抱える患者さんは、自分の意思を他者に伝えることが不得手なのですが、
何とか伝えようとして体中を緊張させてしまうことが非常に多いのも特徴です。
なかなか出てこない言葉を頑張って出そうとする過程で、
首や肩を緊張させて首筋が浮き上がったり、やたらと肩がすくんでいる対象者を良く見かけます。
そのような状態が慢性化すると、
気道や肺という換気に関わる組織を圧迫し血液循環そのものが停滞、
その結果発声に必要な筋肉も栄養不足になります。
つまり、
話す練習をする以前に頸部や胸郭(肋骨に覆われている体幹の上部)の柔らかさ、位置のズレ、筋肉の緊張度合いなど
フィジカルアセスメントが必要な要素がたくさんあります。
経験上、
言語表出に何かしら問題のある方の呼吸は浅く早い傾向にあり、
少し動いたりしゃべったりするだけで「肩で息をしている」ような特徴があります。
これに対して、
「リラックスして!」
「肩の力を抜いて!」
と表面的なアドバイスなすることは簡単ですが対象者はそれが出来ない訳ですね。
もしあなたがセラピストであれば、
呼吸補助筋の努力量を抑制する技術が必要かも知れません。
例えば、
首筋の筋肉の代表格とも言える胸鎖乳突筋が常に浮き上がっているような場合、
いつも首が張って疲れやすいでしょうし、首の動き自体もかなり制限があります。
そこで、
胸鎖乳突筋のてっぺんの辺り(耳の後ろの頭蓋骨との境目)を軽く圧迫して再び首の動きをしていただきます。
すると、
「動きが増えた」と感じることがよくありますので、その刺激がそのまま胸鎖乳突筋の緊張を抑える手段として利用できます。
セラピストの仕事は患者さんの利益につながる戦略を選択することですが、
目先の現象にのみとらわれず、別の側面から問題を眺めるという思慮が出来ているでしょうか。
なお、失語症の訓練について言及している記事はコチラです。
興味がありましたらどうぞ。
今日は、痛みというよりも純粋な医学的リハビリテーションについて言及させていただきましたがいかがでしょうか。
リハビリテーションとは自然科学だと、以前教わったことがあります。
自然界に起こる現象に対して、その本質を推論し仮説を立て検証する。
そのような作業の連続が病理から脱却する戦略になり得るのだ
という考え方。
難しい表現になってしまいましたが、常に私が臨床において考えていることです。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
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