環境に適応する
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仕事において、私が最も重要視する言葉があるとすれば
「適応性」
という概念です。
ここで言う適応性とは「状況や環境に合うように自分を変えていくこと」で、我々の仕事においては、
病理を制御する事で効率よく運動が発揮され、生活の質を高めるという考え方です。
とはいっても、今日の記事は臨床とは全く関係ない旅先での記録です。
自分の適応性が試される数日間の出来事を振り返ります。
今日まで沖縄を旅していました。
もちろん羽を伸ばすためなのですが、これまでがこれまでだっただけに「こんなにのんびりしていていいのか」とすら感じるほどの時間を過ごさせていただきました。
ただ、今現在沖縄は梅雨真っ只中で滞在中まともに「晴れた」日はありませんでした。
↓帰る頃にようやくうっすら晴間が出てきた浜辺
子供と一緒に海を楽しむはずが、蒸し暑い上に雨の中現地移動を余儀なくされることに。
ずっと降られていた訳ではないものの、必然的にイメージしていたブルーオーシャンを味わうことなく…
まぁどうにもならないことを嘆いても何も始まりません。
沖縄には沢山見所があります。
美ら海水族館やフルーツランドなど屋内型のレジャーを上手く組み込んだり、沖縄独特の並木道を散策するのも雨を回避する戦略として使えました。
1番子供が楽しんでくれたのは琉球ガラスを使ったフォトフレーム作り。
体験型のイベントは予定していませんでしたが、やってみるとこれがまた面白い。
細かい作業はパパママに頼りますが、キラキラ光るガラスに夢中になってくれたおかげで雨の中でも楽しく過ごせたのでした。
沖縄の人はあまり天気予報を気にしないそうです。
地域柄天気が変わりやすいのもあるでしょうが、その場に合わせて環境適応する柔軟性があるということ。
自分のように「予定を立てなきゃ気が済まない」性質とは大分違うんですね。
そもそも、
旅の目的は「家族で素敵な思い出をつくること」ですので、
あぁしなきゃいけない
こうしなきゃいけない
という決まりなど最初からなかった訳です。
この考え方は仕事にも多いに役立てるはず。
目的に対してどのような戦略や戦術を選択するか、引き出しが多いに越したことはないでしょうが枠にはめ込むだけではダメだということですね。
また明日から、自分のミッションや目の前の課題に向けて準備していきます。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
公平と平等
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あなたは「公平」「平等」という言葉を聞いて、どのようなイメージを持たれますか?
どっちも同じじゃろ?(※広島弁)
と思われた方はぜひ最後までお付き合い下さい。
我々が普段買い物をするとき、大抵の商品には消費税がかかります。購入者が金銭的に豊かであるかどうかに関係なく。
これが「平等」です。
一方、かつてあった物品税のように、生活必需品には課税しないが貴金属や外車など生活にゆとりのある人が買うような贅沢な品物には高額の税金を課す。
これが「公平」です。
私のいた組織を含め多くの組織で、公平ではなく平等の精神が浸透しすぎている
と感じていました。
年功序列制度や決して例外のない報酬基準、業務の質よりも量で成果を判断する体質…
平等にプレーするとゴルフのスコアでプロに勝てるはずがない。
平等に給食を与えると身体の大きな生徒には足りないし、小さな子には多すぎるかもしれない。
平等に仕事を割り振ると個々の能力次第で「手に余る」状況が必ず生じる。
つまり、「平等」は正しく美しい言葉に聞こえますが、公正な評価をせずに一律な扱いをすることで、かえって不公平になる「悪平等」というものが現実的にははびこりがちになります。
それによって、最も不利益を被るのは顧客一人一人であり、それをバックアップする人間はそもそもこのような組織にはあまり見かけません。
この本の核心はもっと他のところにあるのですが、筆者は自身の経営経験から、
教育や訓練を受ける機会はなるべく全社員に与えるが、努力して出した成果に対する評価と、その評価にふさわしい処遇は決して平等であってはならない。正しい意味での差別待遇が必要である
と断言します。
我々は専門職という立場上、仕事をする場を与えられて報酬を受け取るのが一般的なのですが、
自分の時間を単純に提供しているだけの人間と顧客に喜んでいただくことにフォーカスしている人間では、仕事の質が明らかに違ってきます。
つまり、
患者にリハビリをさせるために病院に勤務しているセラピストと、顧客に笑顔になって頂くために仕事をしているセラピストでは結果も顧客からの信用度も違って当然だ
という話になります。
これは1つの例ですが、
夕方、近所の主婦から「ビールを1ダース」注文された酒屋は注文通りビールを用意します。
ただし、繁盛している酒屋は6本入りのケースを1個と冷蔵庫でキンキンに冷やしたケースを1個、合せて2ケース届けます。
夕飯の支度をしながら「主人が飲むビールが切れている」ことに気がついた主婦の意図を察した上で、注文のときに「冷えたビール」と言い忘れても冷えたビールを届けることで顧客の期待を上回るサービスを提供したということです。
組織や専門家にとっての「冷えたビール」とは何か。
提供する商品の品質を高めることは言うまでも無いのですが、そのためには組織の中で個々の品質を高めることが前提条件だといいます。
これらが実践できて初めて公正な取引が成立するわけですね。
そして、それを正しく評価するシステムがあれば、組織の中でも公平な待遇が期待されます。
社会貢献や奉仕という綺麗な言葉を経営理念として額縁に入れて飾っている組織はたくさんありますが、
それに相応しい品質を磨いている組織で働けることは社員と顧客両者とも幸せなのだと思います。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
※このブログは痛みにお悩みの方、痛み治療にお悩みのセラピスト向けに発信していますが、都合により最近は少々脱線気味なことをご容赦下さい。
http://salon-mizuki-rehabilitation.strikingly.com/
人を動かすには自分の姿勢から
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専門家としてのスキルはもちろん重要なのですが、
やはり文字通り人と接する仕事である以上、人に好かれる存在でありたい、その上で顧客と良好な関係を築きたいと、いつしか強く想うようになりました。
そこで、D.カーネギーの著書を参考に、どのような意識が必要なのかをざっくり考えていきます。
結論から言うと、人に好かれるには6つの原則があるらしい。
1.心からの関心をよせる
2.常に笑顔を忘れない
3.名前をきちんと覚える
4.まずは話をよく聞く
5.相手の関心事を話す
6.重要人物として接する
D.カーネギーは、自分の著書で
相手を動かしたければまず相手を理解することから始めるよう助言しています。
「何度注意しても直さない」「なぜあんなことをするのか」
など、他人の間違いや粗を探して矯正しようとする努力は見当違いだといいます。
この時点で、我々の仕事とはかなりの矛盾を感じるところです。
セラピストは養成校から「問題を探す」「評価する」「修正する」というスタイルの教育を受け、機械的に「この検査をしなければならない」「こんな点数しかとれないなら点数を上げないといけない」といった思考に陥りがちです。
つまりセラピストの関心は患者さんの人間性ではなく「成績」に向けられがちになります。
私もペーペーの頃は、
「どうして未だに手を使おうとしないんですか?」とか、「自分で努力しなきゃいつまでもよくなりませんよ」
などと説教じみたことを口にしては「しょーがない患者だ…」
とネガティブな意識で仕事をしていました。
人間の行動は理屈よりも快/不快という低いレベルでの判断基準に左右されやすいものです。
議論に勝つとその場では従ってくれるかもしれませんが、負けた相手は自尊心を傷つけられ、さらに反発心が高まる可能性が高まります。
人は議論に負けても意見は変わりません。
意見の異なる部分よりも意見の一致している問題を強調し、互いに同一の目的に向かって努力していることを相手に理解してもらうこと、違いがあるとすればその方法だけだと強調すること。
人の心を捉える近道があるとすれば、相手が最も関心を持っている問題を話題にすること
だと言います。
「本人のために」という大義名分を使って「もっとこうしなさい」と命令すると、言われた方は意欲を削がれたり抵抗したくなる。
しかし、テレビや本を見た後で、自発的に言動を変える人は多い。
つまり、押しつけや批判をせず自分から気付いて成長意欲をかき立てること。
命令はやめて質問をする。「仕事が遅い!」と批判するよりも「効率を上げる方法はあるかな?」と自発的な工夫を引き出す。
人を変えるのは簡単ではないし、時間もかかるが、それでも愛情を持って期待をかける。その蓄積が人を動かすのだ。
と結論付けています。
子育てや教育全般の原則とも言えるでしょう。(実際には感情が先に立つことも多いでしょうが・・・)
最後に、
人が動かないときに、見落としていることがないか?
人と接するときに気をつけるべき6項目がこちらです。
1.誠実に接すること。自分の利益よりも相手の利益を考えること。
2.相手に何をして欲しいのかを明確にすること。
3.相手への共感を心掛けること。相手が本当に臨むことは何かを考えること。
4.協力をすれば、どんな利益を相手に与えられるのかを考えること。
5.相手がほしがっている利益を提供すること。
6.人に頼み事をするときは、相手自身の利益にもなると分かるような言い方をすること。
これらが実践できると、顧客との関係も自ずと良好なものになりそうですね。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
費用と収益
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徐々にブログの内容が本来の趣旨と離れていっていますが、自分の知識を整理するためでもあり誰かにお読みいただく以上、そこそこ情報処理をしていくことで何か役に立つことができるかもしれません。
「簿記」という、一見我々とは非常に縁遠い学問を浅ーくかじったときのことを基に記事にします。
世の中のあらゆる取引には「会計」という作業が伴うのですが、経理担当者が会計業務をする際「仕訳」という素材を元に帳簿記入をする・・・
それが「簿記」という技術だそうです。
仕訳とは、1つの出来事に対して2つの情報を記録すること。
つまり、ある商品を売買するとき
「売り手」の情報は「千円の利益」と「商品を売った」という事実、
「買い手」の情報は「千円払った」と「商品を手に入れた」という事実
があり、
売った商品の価値と顧客からもらうお金が同じでなければならない「等価交換の原則」に基づいているということ。
また、商品を生み出すためには見えない所で製品に対する「費用」が生じます。
我々セラピストの場合、この費用に相当するものは自分の努力に他なりません。
そして、その努力の結果生まれる他人への成果を「収益」という形で表現します。
したがって、
収益-費用=利益
となるわけです。
利益を最大化するためには収益を上げるか費用を抑える必要があるのですが、
費用を抑える=自分の努力をしない
という意味では決してありません。
高い品質の商品をお届けするため、今すぐ利益は発生しないが将来のための投資はその組織や個人の「資産」として捉えます。
同じ支出でも将来の利益のために使った物は「資産」で、目の前の取引のために必要になった支払いが狭い意味での「費用」というらしい。
ということは、 我々は資産をできる限り増やす努力をした上で顧客から投資していただき、ようやく利益として等価交換できるわけですね。
専門家は養成校を卒業することは当然として、その後に何を学んだかで報酬相応の働きができるかどうかが決まります。
現時点では、新人でもベテランでもエースでも、一律の報酬を受け取るのが医療保険制度ですが、いつまでこの制度は通用するのでしょうか?
知識をつければつけるほど矛盾を感じていく今日この頃です。
・・・簿記の話でしたが、結局何が言いたかったかというと、
我々に顧客の人生を投資する価値があるかどうかをセラピスト自身も考える必要があるということ。
セルフメディケーションという言葉が出回り始め、自分の責任で価値あるサービスを選択することが推奨されています。
選ばれるセラピストになりたい
と頑張るきっかけになった1つがこの本でした。
自分への投資はストレスから脱却する第一歩
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少しの間休みをいただき、まとまった休みを出来るだけ活用してたくさんの本を読んでおこうと思っています。
当然臨床から暫く離れるので、ブログの趣旨を少し変え日々学んだことを記事にすることでビジネスマンとしてのマインドを高めていきます。
この本には、私のこの2年あまりの過ごし方を肯定してくれる記事がたくさん書いてありました。
人に授けるに魚を以てするは、漁を以てするに如かず。
貧しい人に魚を与えれば、その人は1日は食料に困らないけれども、魚の獲り方を教えてあげればその人は一生食うに困らない
という老子の有名な言葉がこの中で紹介されていました。
多くのサラリーマンは「魚を与えられる人」になっている。
つまり、会社から給料を与えてもらっているだけで、自分で稼ぐ方法を知らない。
「給料が安い」「昇給が少ない」と愚痴をこぼす前に、お金に対する考え方を「もらう」から「稼ぐ」に変えて、その方法を考えることが重要だと筆者は述べています。
また、どれだけスゴ腕の泥棒でも絶対に盗めないものがある。
それは頭の中にある知識や情報、スキルです。
現金や物を貯め込むことよりも、若いうちに自分の能力を高めることに投資することを強く勧めています。
今の時代、スマホやタブレットがあれば世界中のノウハウや勉強になるコンテンツにいつでもアクセスして無料で勉強出来るのだから、是が非でも自分に投資する。
筆者は、仮に今すぐ地震で会社がつぶれても、すぐにでもビジネスを再開する自信がもてる、ゼロからお金を稼ぐことが出来る
と言い切ります。
そして、
付き合う人を変える
という考え方。
医者の子供が医者になったり、芸能人の子供が芸能人になるのは同じ職業の人が周りにたくさんいて、その人たちの考え方に多く触れることで自分の在り方もそうなっていく
ということ。
つまり、文句や愚痴ばかり言いっているサラリーマンの集まりと、起業家や高収入の社長達の集まりのどちらに参加するかで自分の在り方も変わってくる。
自分の目指す未来はそれを乗り越えてついてくるものだ、と言います。
私はこの1年を振り返って、本当に「忙しい」と感じる時期を過ごしていたつもりですが「忙=心を亡くす」という書き方そのままに心に余裕がなくなっていました。
しかしその分、得られたものもあります。
やらずに後悔するよりも、やって後悔したほうがいい!
というマインド。
毎日しんどそうにしていた私をポジティブに受け止め支えてくれた妻には、本当に感謝しています。
今日もここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
これまで と これから
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・・・昨日、6年間勤めた病院の最後の勤務を終え、
嬉しい一方で複雑な気分の1日でした。
どうやら私は「とにかく真面目」なキャラで通っていたようですし、近寄り難さもあったらしいです。
真面目には違いないですが、
小心者なので常に気を張っていたことで周りからそのように見えたのでしょう。
以前もこんな記事を書きましたが・・・
思えば、
私は結婚と同時に今の病院に転勤してきたのですが、それまでの環境と全く違って既存のセラピスト達との価値観のズレや対象者の地域的な性質の違いから、思うような治療ができないことにかなりのストレスを抱えてしまい、考えることが苦痛になっていた時期がありました。
もう余計なことは考えずに平穏で安定した人生を送ろう・・・
などと甘えかけていた頃、ある同僚との出会いが私の価値観を変えました。
当時の私には無いものを持ったその同僚は、自分の軸をしっかり持っていてこれまで見た誰よりもセラピストらしい存在でした。
やっと自分の理想の形を見出した私は、また一から勉強し直し自分に足りないものを必死で埋めていくことにしました。
ビジネスにおいては自分の弱みよりも「強みを生かすことが重要だ」と色んな本に書いてありますが、
セラピストにとっては結果が出せる(=主観的に「よくなった」と思ってもらえる)かどうかが全てです。
そのためにはセラピスト自身の引き出しが多いことが絶対条件です。
「頸が痛いのは私の管轄外です」とか「私は膝のことは分かりませんから」なんて言いたくない。
何でも対応出来るから国家資格保有者なんでしょ?
肩が痛いからって肩にしか注意が向けられないなんて素人と一緒でしょ?
そんなことを自分に言い聞かせながら、脳のことばっかり考えていて決して得意でなかったフィジカルアセスメントを克服していきました。
今ではこうしてブログを書けるまでになることができましたが、まだまだ彼に追いつけたとは思っていません。
すでに私と彼は別々の道を歩み始めています。
各々のやり方で社会貢献をしていくのですが、
これからの私のミッションは、
「痛み止め」や「湿布」が手放せない地域の方がそれから解放され、幸せな生活を送れるのを助けること
リハビリテーションの新たな基準を創り、顧客満足という視点で問題に向き合えるセラピストを1人でも多く育てること
です。
本当に実現する日が来るのか、途中で挫折して会社員に戻ることになるか分かりませんが、賛同してくれる方がいらっしゃればぜひ一緒に勉強していきましょう。
尾道は本当に素敵な街です。
一人でも多くの方に正しい痛み治療が提供できることを願って、これからも精進します。
痛みと動きにくさについて解釈する
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自分の発信するものが誰かの役に立っている
と感じられる時は続けてよかったなと思いますが、
それと同時に知識を整理することでまだ自分に足りないものがたくさんあることを感じます。
なので、
毎回状態の違う患者さんから何かを学ぶ
ということを常に意識しているわけですが、
病院という組織で動いていると、しょっちゅうこんな場面に遭遇します。
「〇〇さんは早くトイレ歩行の練習をさせてください」
「この人不穏で危ないから車いすにくくりつけてます」
看護師達の意見もよく分かるのですが、
このように考えてみるといかがでしょうか?
頸がすわって間もない赤ちゃんに立たせる、歩かせるという作業をさせると
原始反射を誘発し身体を突っ張らせたり反り返ったりします。
つまり、
動くための支持面が十分に確保出来ていないうちにハイレベルな動作を要求すると
人間は身体を固めてとにかく安定を確保しようとするわけです。
自力で起き上がれない方に「訓練だから」と両手で棒にしがみつかせて歩かせるという行為は、
我々健常者に「体操の内村選手並の大車輪をやってみろ」
と要求しているようなものかもしれません。
したがって、
「目標そのものを見直す」ことはもちろん
「対象者が今何を求めているのか」を引き出す努力がこちらに必要です。
経験上、
寝返り一つままならない患者さんには
ほぼ間違いなく「痛み」がつきまとっています。
なぜなら、
寝返りをするための身体の捻れを生み出す柔軟性が破綻し、
「何かを引っ張る」という代償的な戦略を用いることでさらに緊張を高める(=固める)ことが習慣化し、動く度に衝撃が身体に蓄積しているからです。(↓こちらもご参照ください)
このような方には、
「身体が柔らかくなった」という感覚を作ることで
効率的な動きが引き出される
という戦略が有効なことが多いです。
90代の戦争時代を生き抜いてきた癌で入院中のおじいちゃんは、
肩も腰も膝もバッキバキで「どこ押さえても痛い」状態です。
「あと何年生きられるか」という方に対して最も避けるべきは寿命を縮めるようなトレーニングです。
本人の希望を聴けば「歩けるようになりたい」
ですが、それよりも
「痛いのを何とかして欲しい」と、至極当然な意思表示をされます。
ただ、
痛みを感じる部位が多すぎて、問題が↓以前のように単純な筋膜の問題だけに留まりません。
そこで、
身体の中心に位置する横隔膜の活動に目を向けます。
横隔膜は呼吸の中枢的な役割で、
これが硬くなると全身の換気効率が低下し、循環が停滞し筋肉が軽い酸欠状態になります。
案の定、
みぞおちの辺りを触れると指が沈まないくらいの硬さが確認されます。
そこで、
まずは身体の中軸である横隔膜の硬さを取り除くことで
身体を一度ニュートラルな状態に戻す
という作業を選択するのです。
すると、
「脚が伸びるようになった」
「なんか軽くなったような」
と、おじいちゃんの身体に変化が生じます。
もちろん痛みはあるのですが、その程度が下がってくる
ということに確かな手応えを感じます。
2-3日続けていると、
最初は手を伸ばして「起こしてくれ」と他者に依存していたおじいちゃんが
自分で向きを変えて肘をついて起き上がる
という動きが出来るようになったわけです。
なお、
横隔膜はコア・スタビリティという身体の安定性に密接に関わる要素で、
我々が静的・動的に姿勢を保つ上で柔軟かつ強固に働くスタビライザー
として不可欠な存在です。
これを無視して立つ・歩く
という行為ありきのトレーニングをすると・・・
もはや言うまでもないので省略します。
最適な支持面が出来たことで次の段階へ移る
という戦略は、
赤ちゃんも無意識的にやっていることです。
セラピストは、
そのような身体の原理原則に基づいたガイドをしていく専門性が求められるということですね。
寝たきりにならないように、と
「離床(ベッドから離れる)」を推進する事は重要ですが、
その方にとってのデメリットを考慮しているか?
ということも付け加えておきます。
痛みの強い方に対して、
それを適切に解釈して最適なエクササイズを提供できるか。
痛みに悩まれている対象者の方やセラピストにとって、
少しでもヒントになれば幸いです。